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楽しい遠足(中根先生作) イチゴ の広場
啓介 いおり 高1

 現代日本の僧侶は、宗教者・求道者たることを自らの天職として選び取ったという人びとではなく、いわば職業人として僧職に就くことを他律的に条件づ
けられてそうなったという人びとが大半を占めるであろう。  

 およそ人間として成長するためには、絶えず現在の自分の生き方を恥じることが必要であろう。自らを恥じるとは、自らを客観視する別の眼をもち得るこ
とである。自分の新たな可能性を絶えず開拓しようとする気魄をもち続けること、まして人に向かって法を説き、ひとかどの救済者として自立するほどの人 であれば、なおさら、自らをその道の完成者として完結させてしま ってはならぬはずである。もし、いささかでも自己完成者としての意識が残っていたら、その人はすでに救済者たる資格はない。  

 僧さんと先生とは立場が同じだと思う。しかし普通に大衆から見たら、大衆より下という感じに人は感じ取るだろう。人は自分を救う者は自分のほかには
ない。だから人は自分を見てまだだめだと思ったら、自分から進んで上に上がろうとするだろう。そしてある程度いったら、もう、そろそろ良いだろうと思 ったら、そこからは平坦な道になっていく。そして、もう自分の上に誰もいないと思ったらそこから下に下がっていくと思う。  

 日本を例にすると、今の日本はだんだんと下に下がってきているのだと思う。なぜなら、今の日本はなにをやっても失敗ばかりだからだ。内閣の選挙とい
い、ロケットの打ち上げといい、今の日本は、インドなどを見下しているのだと思う。だから、日本は下がってきている。そして下がりすぎると、昔のロー マ帝国のように内部から滅びていくことだろう。アメリカも今の日本と同じ場所にいると思う。  

 だから、今の日本やアメリカのようにならないためには、最後まで目標を持ち続けていくことが大事なことだと思う。
 

 
                                               
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