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童話の表すもの イチゴ の広場
正博 いえわ 高3

 誰もがよく知っているお伽噺「桃太郎」は、「ある日おじいさんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました」という語りだしから始まっている。
年寄りがいけるような身近な所に、薪採りのできる林があり、また、家のすぐそばには洗濯のできるきれいな小川が流れているといった、この素朴な集落の 光景は、日本人にとっての一つの原風景といってもよいだろう。  

 私の家は京都府のかなり田舎の方にあり山に囲まれ、家の近くを川が流れている。
 

 私がまだ小さかった頃は、祖父は柴刈りにではないが山へ行き、祖母は川で洗濯をしていた。今は川の水が少なったので川で洗濯はしていないが、私がま
だ小学校に入る前、川で遊びながら、桃が流れてこないか、などと言って家族に笑われたのをおぼえている。思い出すたびに苦笑いしてしまう思い出だが、 それだけ童話が、身近なものだということだろう。  

 また、「お婆さんは川に洗濯に」というのはともかく、「おじいさんは山へ柴刈りに」というのは、確かに山が多く身近なものである、日本という国独特
の語りだしだ。童話というのは、その国の風土や文化をよく表しているというのも分かる。  

 便利で合理的な生き方よりも豊かな森林や川に囲まれ、その恵みを受けながら生きるという生き方の方が人間味があると思うのは、私が桃太郎などの話を
聞いて育った日本人だからなのだろうか。他の国の人はどうなのだろう。  

 一神教と多神教の違いについても、童話は宗教の影響を非常に強くうけるものだ。やはり童話はその国の風土や文化を表すものと言えるのではないだろう
か。  

 しかし、便利で合理的な文化というものを作った国にも、自然があったはずだ。どうしてこんなに違うのだろう。
 

 それも他の国の童話を読めば分かるのだろうか。
 

 
                                         
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