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私の家族 アジサイ の広場
ノッポ いえは 高2 日本人の生活は、森林の恩恵のもとに営まれてきた。私達に身近で生活の様々な面で利用されるような森林を、里山と呼んできた。里山は人間によって極め て集落的に利用されながらも、けっして消滅することなく維持されてきた。それは、必要な時に必要な分だけを求める「摘み取り」による資源採集の場とし ても利用されてきたからだ。また里山は、自然は人々の信仰の対象にもなってきていた。しかし現代では、この古来から育まれてきたものが失われてきてい る。  

 日本の多くでは自然が失われてきているが、私が宮島を訪れた時多くの自然をみることができた。宮島の地理的事情もあって、すべてが自然優先で造られ
ていた。至る所に湧き水があり木があり、その周りに人が住んでいるようだった。現代の都会の生活から比べると不便そうではあったけれども、潮の満ちひ きなど自然を上手く利用して人自身も楽しんでいるようであった。  

 私達の現代の生活では、自然に触れることは少なくなっている。しかし最近では、自然の大切さが叫ばれ、都市でも緑を見ることができるようになったが
、それらは長方形の広場に円形の池などすべて人工的である。それでも人々は自然を欲しがり、風の音や川の音などというCDまでも売られている。けれど もその一方で、地方ではどんどん森林が伐採され、自然と共に歩んできた村がダムの下に沈んでいっているのである。  

 自然とは、家族である。いなくてはならない存在なのだ。私達に多くのことを教えてくれ与えてくれ、楽しませてくれている。だからこそに鎮守の森など
も存在した。今、私達は自然がいかに大切なかを思い出しつつある。この一人一人の思いをまとめてみてはどうだろうか。最初は小さなことでも、それが徐 々に大きな動きとなり、国全体が自然と共存するようになるだろう。  

 
                                                 
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