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外国人に日本語を アジサイ の広場
陽一 あわつ 中2 外国で日本語を教えていると外国人は質問対するいいえが異常に大きい事に気づく。実はこれは、相手はイエス、ノー共にはっきり言おうとしているだけで 日本人のいいえが弱かったのだ。これは日本人がそのいいえを弱く言うのは事実を通り越して相手を批判することになってしまうことを恐れるからなのだ。 これは「見ませんでしたか」のような否定の疑問文に対して本当に見ていない場合の答え方が違っているのに似ている。日本では「はい」と相手に向けて外 国ではノーと事実に向けて話されいる。  

 確かに言葉を通して相手に意思を伝えることは大切だ。話し合いなどでもハッキリ自分の言いたいことを言わないととんでもないことになってしまうかも
しれない。例えばもし僕が総理大臣になったとしてアメリカが「明日攻めるねー」と言って来た時に「え、あ、はあ」などと言ってお茶を濁していたら次の日 ドッカーン,日本滅亡なんて事もあり得る(はずが無いが)。こんな事はないとしてもこれは、僕は関係していないのだけどこのあいだ、学校のAくんが先生に これを届けてくれと頼まれた事があった。しかしそのAくんはそれはそれを僕の友達にやってくれと言った。すると何故かその友達は何の理由も無いのに承 諾してしまったのだ。そのおかげで僕の友達は休み時間が無くなってしまった。  

 このように確かに物をはっきりとと言うことは大切だが今まで皆がそうしていたよう相手のことを考えながら、少々控えめに言ったり、必要最低限のこと
しか言わなかったりすることもいいことだと思う。欧米では、出かけるときにいくら夫婦でも「好きだ」「わたしもよ」などの日本ではプロポーズの時にしか 言わないような言葉を、毎日言っていなければならないそうだ。それは僕らから見るとかなり変だ。日本には以心伝心と言う四字熟語がある。なにも言わな くても相手と自分の心が分かり合えると言うことだ。この以心伝心の例として飯、、風呂、寝るしか言わないおやじが上げられる。  

 このように二つの言葉には「長所」「短所」がある。だから「できあがった規則を何とか守ろうとするよりも、実態にあわせて規則を変えていくことが、真
に規則を生かす道である」という名言のように、今ある文化による言葉の使い方をその場その場で使い分けていくことが本当に良い文かを作り出す方法だと思 った。僕は日本のような以心伝心と共存する文化は素晴らしいと思う。何よりそうすることによりごちゃごちゃ言葉(音)が飛び交うこと無く比較的静かな空 間を作り出せるからだ。  

 
 

 
                                               
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