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21世紀の価値観 |
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UZI.SMG |
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そお |
高1 |
人間はあるがままの混沌の世界に対して、文化という装置によって秩序を回復する試みを行った。そしてそれはいったん成立すると、当然のことながら人間 |
の行動そのものを規制してくる。それはつまり自由を規制することで成り立っている文化という現実でもあるが、そのことは実は20世紀の教訓でもある。 |
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例えば学校では、人数が多いためたとえ1クラスの中においてでもいろいろな派閥じみた集団が生じる。それらは趣味だとか部活だとかで連帯して出来る |
。クラスを見渡せば小さな集団の塊であることに気が付く。クラスというのはいわば連合みたいなものだ。同じ時間割や教師の下で等しく勉強しているとい |
う点でつながっている。ここで一般化してみると、趣味や部活、あるいは時間割といったものは「文化」に値しているのである。その文化、つまり共通の価値観 |
の基準をもとにまとまった方が活動しやすいことは確かだ。しかし、一度そうした組織を作ると縛られざるをえないしある程度自由は規制される。自分の意見 |
を無理強いせず妥協するということがその規制である。この妥協することが組織を維持する上での重要な点であり、また共通の価値観である文化をもち続け |
ていくことがその根幹にあることも忘れてはならない。 |
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また、このことは単に個人に限ったことではない。国家と国際社会はその最大規模のものだ。20世紀初頭、国際社会はまさに「あるがままの混沌世界」であっ |
たといえる。自由を規制する圧力がなく、また各国の欲望が交錯した結果、二度にわたる世界大戦が起こった。その後は東西冷戦という形で、なおも自らの価 |
値観を他人に押し付ける政策を行っていった。これを見ていると、21世紀には世界共通の価値観でもって本当の意味での国際社会を作らねばならないと気づ |
く。確かに難しいことではあるが、しかし少なくとも他人の文化を侵害して自らの文化を押し付けてはならない。今世紀の教訓を生かさなければ再び血を見る |
ことになるだろう。 |
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このように、文化という共通の価値観で人間は結びついていることがわかる。そしてまた、絶対的な価値観だとか中華思想的排他精神でもって他人を縛り付 |
けてはならない。他人のもつ文化や価値観というものを尊重していかなければ人類の繁栄は訪れないであろう。旧ソ連の大統領で、冷戦に終止符を打ったゴ |
ルバチョフ氏は、「21世紀では、20世紀において得た教訓を生かし、新しい価値観の創造と、他人の文化を思いやり尊重していく世界にしなくてはならない。 |
」と語り、さらに残念ながらどうもまだそういった方向には進んでないようだと嘆いている。しかし彼は「絶望はしていない、希望をもって見守っている」と |
言った。21世紀への扉を開いた彼の言葉こそ21世紀の文化そのものなのではないだろうか。 |
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