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勉強の目的 |
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の広場
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ノッポ |
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いえは |
高2 |
日本人は外来文化の表面的な部分ばかり取り入れてきたため、内面的な部分について学ぶことをなおざりにしてきてしまったきらいがある。何のために「勉 |
強」するのかという目的を問う前に、知識をがむしゃらに得ようとしたため日本には「勉強」を何か嫌なことを「つとめ、しい」られているというかんじが |
ある。しかし、自分の行くべき道を自分で探していくには、多くの困難も伴うが、その困難に打ち勝ち、自分の勉強する目的もはっきりさせ、勉強する中で |
自分の生きがいを見出すことができたら、「勉強」も苦悩ではなく、充実したものになるだろう。「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでもそこ |
へ行きつくための手段にすぎない。しかし、今日の社会では、「勉強」が目的になっていないだろうか。このままでは、日本人は世界の傾向とは裏腹に、思 |
考能力の無い人間になってしまう。 |
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現在の社会は、人を相対的に評価するために、学歴というという一つの視点のみを基準に人を判断してきた。学歴社会といわれているように、学歴や資格 |
が重要視され、高い学歴を持っている方が優れているとみなされているため、多くの学生は自分のやりたいこととは関係無しに、意味を見出せないまま勉強 |
をし、テストなどの点数を自分の評価としているのである。 |
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しかしこれから私たちは、学歴のようなひとつの視点ではなくて、様々な視点で、人を見られるようにならなくてはならない。人間とは、ロボットとは違 |
い感情のある人間であり、様々な人がいるのである。どんな人が良い人で悪い人か、優れている劣っているかというのは、決してわからないのであるから、 |
一人一人が柔軟な考えを持つことによって他者をみていかなくてはいけない。 |
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けれども、様々な人がいる社会で、人はどのようなことでも、自分の感情にそって行動するのであるのに対して、点数というものに評価されることは、平 |
等であり公平でもある。しかしこのことは、人間の評価になってしまってはいけない。「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人 |
間になることが勉強の目的である。」 |
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というように「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでも目的のための途中道なのであるから、勉強による成果とは決して点数で表れないのであ |
る。 |
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小人動く |
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