先頭ページ
前ページ
次ページ
最終ページ
|
鳥は鳥に |
|
アジサイ |
の |
道 |
の広場
|
|
眠雨 |
/ |
うき |
高1 |
近年の世界諸国の掲げる理想的な政策とは、多くの場合民主主義である。国家の主権は民衆にあるとしたこの主張は、ヨーロッパでの市民革命によって誕 |
生した。王の権力は神から授かった絶対のものであるとしていた絶対主義という一種宗教的な根拠の独裁主義に対し、国家を支え国家の利潤を生み出してい |
るのは民衆である、ゆえに彼らも政治に参加する権利がある、という民主主義は非常に現実的な面からの主張である。権利の所在を万人が納得できる理屈に |
よって証明したことにより、この主張は数多くの国で受け入れられ、ピラミッド型の権力図の「下層」に位置していた民衆は、「多数」という力をもって主 |
張を押し通した。こうして民主主義は今や政治のありかたの基礎のようになっているが、しかしそこには問題が潜んでいる。民主主義は誰の主義も平等であ |
ろうとするがゆえに、自然それは衆愚の中の程度が低い人間へ合わせるようになっていく。結果、行き過ぎた民主国家は烏合の衆となる。では、その行き過 |
ぎた民主主義にならないためにはどうすればいいだろうか。 |
|
そのためにはまず第一に、民主主義を拡大解釈しすぎる、国民の心構えを正すことがあげられる。民衆が権利は我にありと自分の意見をあちこちで叫び始 |
めたなら、そしてさらにそれを端から検討していったなら、どれだけの時間がかかるかしれない。多数の政党が乱立し、権利だけが声高に耳に残る。結果そ |
こに生まれるのは、膨大な混乱と、それによって引き起こされる不和である。民主主義は、自己主張を通すためのものではない。民主主義は、国家をよりよ |
く変革していくためのものにすぎない。そこで押し通されるのはプライドではなく、思想であるべきなのだ。民主主義が不協和音をもたらしては、本末大転 |
倒である。 |
|
第二に挙げられるのは、政治体制の根本、民主主義政策の見直しである。最近は、若者の政治離れが問題になっている。私の友人も選挙権を手に入れても |
う七年ほどになるのだが、未だ選挙には行ったことがないという。政治に関心をもつ人間が少ないならば、このままでは日本という国家が行き詰まると危惧 |
する声もある。だが、逆にこういう考え方はできないだろうか。今の情勢に適している政治は、独裁なのではないかと。江戸幕府によって統治されていた江 |
戸時代は、日本が平和な成長を遂げた時代だったという。無論、士農工商に不可触民という身分制度は決して推奨されるものではないが、それでも各職業の |
ものが自分の役割をこなすという国家の運営体系は理に適っている。国家も非常に大きなひとつの組織であり、組織を統括するのならば、それに見合った方 |
法というものがある。たとえば現在の会社で民主主義を採用すれば、混乱が起こることは必死である。会社はリーダーによる独裁でこそ正常に動くのだ。 |
|
確かに、民主主義は数多くの国家で受け入れられ、多くの安寧をもたらした。王政の絶対統治は、必ず力による歪みができる。冬の寒さは、屋内にいては |
想像の域を出ない。他者の苦しみは誰も、わかることができない。ゆえに苦しむ者の立場で国家を動かす、民主主義は画期的だった。しかし日本の統治の現 |
状は、民衆から離れた「政治家」だけが一人歩きをしている傾向がある。そして多くの国民は、それを受け入れている。それで国家を成り立たせている。な |
れば日本のこれからの統治は、行き過ぎない民主主義、独裁主義を孕んだ民主主義が理想なのではないだろうか。すなわち民衆から選ばれた政治家という特 |
権市民が、集団首脳部となって国家を運営する。民衆の仕事は、各職業の役割をこなすことと、「票」になることである。下手に政治家外の人間が、政治が |
わかったようなことを(実際にわかっているとしても)口にするからこそ国家は混乱する。八百屋は八百屋の、魚屋は魚屋の、そして政治屋は政治屋の領分 |
をわきまえれば、民主主義は安定するのだ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ホームページ