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本の魅力☆ アジサイ の広場
ミュウ あおゆ 小6 「視聴覚文化」が盛大におもむき、本読む人が少なくなるだろう、というのは、どうも本当らしくない。テレビは受け身の楽しみ、読書は積極的な楽しみで 、受け身の楽しみが増えるということは、かならずしも積極的な楽しみをもとめなくなるわけではない。娯楽の性質が全くちがうから、いわゆる視聴覚「文 化」、または「娯楽」は、読書の楽しみを妨げるものではないであろう。だれにでも私にはわかりにくいけれども、他の人にはわかりやすい本というのがあり ます。また最後に、だれにもわかりやすい本というものがあるでしょう。この最後の一文には私も同感である。  

 私は「ハリーポッターと賢者の石」という本をもっているのだが、その本が話題になっていたころ、私はその本に興味をしめさなかった。そして学校で、
二人の友達に「よんでみなよ!」「だれがよんでもおもしろい!」「無茶苦茶おもろいでぇ~」といわれまくった。私は「うん。よんでみるわー」といって おきながら、第二巻の、「ハリーポッターと秘密の部屋」が話題になったころにも私は、第一巻の本を開いてもいなかった。そして昨日に初めて読みはじめ た。そのきっかけはその二人の友達の言葉を思い出したからである。しかも思い出した時が丁度暇な時だったから私は本のとびらをあけることができた。読 み始めるともうとまらなくなった。お母さんになにか言われても「ちょっとまって」しかいっていなかったそうだ。いま、十章の最初の方までよんでいる。 作文を書くのがおくれたのも、ハリーポッターを読んでいたからだ。よんでるときは本の中のハリー(主人公)の気持ちになぜか同情している。ドキドキも びっくりも、疑問に思ったとこもだ。その気分はかならずハリーと同じだ。いろんな気持ちが全部味わえる本だと保証できる。  

 私は本のどこが好きか。私は本の想像できるという素晴らしい所が好きだ。読む人によって感じ方がちがうし、それぞれ感じる疑問もちがうだろう。本は
、すべての人に同じような感情をもたせることは少ないと思う。たとえばハリーの魔法の杖がどんな感じかもある程度説明してあるが、それぞれの人は形、 色、大きさ、太さ、長さを想像するだろう。それがみんな人それぞれちがうものを想像しているのだ。手で何とか握れる太さだとか、手ではしっかり握れる ちょうどいい太さの杖だとか。そういうふうな所に本の魅力がかくされていると私は思う。  

 私は最初の要約に、「この最後の一文には私も同感である。」とかいているが、それは最初の方に書いているように誰が読んでも面白いという友達の言葉
だ。きっとハリーポッターは誰が読んでもはまる!本の魅力を思い知らされる!そんな本だ。私は一巻を読み終わったらお母さんが二巻もかってくれるとい ったので、黙々と読んでいる。私がおすすめする!!!  

 
                                                 
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