先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
一本の大木、有り合わせの空缶タワー アジサイ の広場
拓馬 ねき 中3

 人は、採集生活の労苦と非能率を嫌い、そのため自然を管理下に置こうと試みた。そうしてできたもの、それが「野菜」である。そして、品種改良を口実に
、好き勝手に植物の姿さえも変えていった。しかし、それでもたかが人間のできることには限界がある。日照りが続けば植物は育たず、低温多雨な気候にな れば、簡単にズタボロにされる。結局、自然にいいように翻弄されているのだ。所詮いくら人間が頑張っても、自然が許してくれる分しか進めることはでき ないのである。  

 「自然」の圧倒的な力の前には、今は平伏すしかないのである。だから、「ハァッハッハッハ、人間様がNo.1じゃぁぁぁぁぁ!!」などといっていると、「
己惚れるなぁ くぉの若造がぁぁぁぁぁ!!!!」てな感じで、急性氷河期が訪れ、あっというまに全滅させられてしまう。  

 そうならないためには、第一に、自然を謙虚に理解しようとしなければならない。人間は、知恵や知識と引き換えに、第六感と、地球とのシンクロを失な
った。故に、自然そのものを体で感じるのは難しく、知恵と知識で何とか解明していくしかない。簡単な質問であらわしてみよう。「今あなたの目の前に、 見たことのない様な美しい一輪の花があります。さてどうしますか。」①手に取る。②近づいて、匂いをかぐ。③よーく観察する。④シカトする。  

 ①を選んだ場合・・・うわぁ、その花は実は超強力な食虫花だぁ!!強い酸によって手がとかされてしまったぁ!!
 

 ②を選んだ場合・・・ぐおっ、その花は隕石の衝突によって運ばれた、未知の「カビ」だあ!!鼻が侵されてしまったぁ!!
 

 ③を選んだ場合・・・ひえぇ、その花は突然まばゆい光を放ち、大木にっっ!!腰が抜けてしまったぁ!!
 

 ④を選んだ場合・・・Oh my
god!後ろを歩いていた人がその花を慎重に採取し、研究。その結果、すべての病をたちどころに治すことのできる薬草と判明!!その人はノーベル医学賞を受  

 わけの分からない例だったが、つまり言いたいことは、分かったつもりでいても、本当の自然は底が知れない。分かっている所は、ほんの一握りだ。だか
ら、むやみやたらにいじくると、思わぬしっぺ返しを受けることになる、ということである。だから、自然を知ったつもりにならずに、謙虚にもっと学ぶ姿 勢が必要なのである。少なくとも③の人は、その花が瞬間で「木」になれるだけのエネルギーを兼ね備えている、ということを、ローリスクで知れたし、④の 人の後ろを歩いていた人は素晴らしい発見をしたのだから・・・ね。  

 また、第二に、気を長~~~くもつことである。自然は、46億年の時を刻んで、ここまで来た。その途方もない時間を、仮に縄文時代以前(新人類誕生当初
)から自然を研究していたとしても、数万年のうちに理解しきれるはずもない。特定の人間がその当時からずうっっっと研究し続けていたのなら、あるいはと てつもない結論に至っているかも知れないが、それはありえない話である。大体、人間は、まだ、「人間」のことも、満足に分かっていない。各内臓から何が 分泌され、それによってどんな反応が起こるか、ぐらいは分かったが、なぜ「脳」は考えることができるのか、言葉を最初に身につけたきっかけは何か、死ん だらどうなるのか、そもそも生まれてくるときに、命はどこから運ばれてくるのか。なにも分かってはいない。それに加え、その何万倍もの膨大な自然を理 解しようっていうのだから、百年単位の研究でも、理解できるかどうか。きりがない、と言ってしまえばそれまでである。それ程に、「世界」は広く、それ程 に、未知なものなのである。長い、という単語では足りない「気の長さ」を持たなければならない。  

 確かに、この百年で、人類は、信じられない発展をしてきた。20年前の「夢」がどんどん現実になっていく。いずれ、空を飛べる車も出るだろう。いやもし
かしたら、これを読んでいるのは、すでに上空200メートルの、電車の中かもしれない。それ程に、いまの人類は走り続けている。しかし、私が思うに、この 発展は、空缶をどんどんたてにつんでいった発展にすぎないと思う。ちょっとつつけば、すぐに崩れる設計。高くなればなるほど、それは倒れやすくなる。 その証拠に、もし今ペンタゴン(〔五角形の意〕アメリカ国防総省の通称。建物が正五角形であることからいう)のコンピュータが一台暴走したら、とたんに ハッカー達が内部に進入、トチ狂った輩が、核を発射するかもしれない。そうすれば、とたんにWWⅢが始まり、人類は確実に滅亡へと進んでいくだろう。 逆に自然は、大木のように、少し上に行く毎に、下の幹も、太く折れにくくなる。これなら、ちょっとの衝撃では倒れないし、どんどん高くなった所で、そ れに比例して土台もしっかりしていくから、ちょっとやそっとじゃぁ倒れない。「毎朝歯を磨くのに、一週間分まとめて一挙にという人はいない」。というか 、できない。仮に、普段の七倍の時間を費やしたとしても、蓄積したものをくつがえすことはできない。同じ様に、46億年の営みを、仮にその進んだ距離分 だけを短時間で繕ったにしても、最終的には、それには追い付けない。  

 人間は、自然には勝てない。図太い大木に、同じ高さの「空缶タワー」が、勝てるはずもない。そして、何よりも、人間も自然の「一部」にすぎない。それも
、最近出てきた新顔だ。それを理解しないで、自然を理解しよう、などと、甚だしい限りだ。だが逆に、それを理解し、自然の「大木」の枝葉と気付けば、も っとまわりが見えてくる。一枚の葉にとらわれては、木は見えない。一本の木にとらわれれば、森は見えない。見るともなく全体を見る。それがどうやら見 るということ。「バガボンド」というマンガの、受け売りだ。                                       
ホームページ