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読むと飽きる作文 エンジュ の広場
むむら あめお 小5

 チョウチンアンコウのイリシウムというアンテナの先には、エスカという物があり、この部分が発光するのでチョウチンアンコウの名がある。するがわん
駿河湾は発光生物の宝庫なのだ。ところが、まだ水族館では飼えないでいる。ある博物館では、深海魚の飼育に挑戦してきた。しかし、色々な魚は、ようや く10日間程度は生かしつづけることはできたが、それは飼育したというよりも生存したと書いた方がいい。深海魚が水族館で飼えないのは、それが深海に 棲んでいるという事実よりも、深海に棲んでいるために内臓などが傷つきやすいなどと言うことが言える。  

 僕も家で金魚を飼っている。その金魚は8年ほど飼っている。しかし、その金魚も飼い始めた時はとても大変だったようなことを覚えている。何事も初め
てのものはみんな、特別な扱いになっている。よくある出来事として、その物を一時的に良く扱うようになる。僕の妹は、一昨年前の誕生日のプレゼントと して、  

 ファービー(話し掛ける事でコミニュケーションが取れるロボットペット)をもらった。しかしその人形で遊んでいたのはほんの2週間だ。
 

 しかし、このようなことが現実ばかりではない。悪い事もある。普通に動いているだけ次の話はもっと悪い。
 

 また同じ妹は、去年のクリスマスに、プーチ(ファービーと同じような犬ロボット)をもらった。遊んでいたのはこれまた2週間ほどだが、それには別に理
由があるようだ。それはある日、プーチで遊んでいた時、悲劇(?)は起こった。  

 昨日と同じくプーチと遊んでいると、『グゥイィィィィィイイイイ・・・・・・・』プーチの足が回り、止まらないのだ。記憶リセットボタンを押しても
何も効果はない。妹は回る足に邪魔をされながらも腹の辺りにある電池を抜き、その後、一回も遊んでいない(笑)。  

 このように僕の家の金魚も最初の2ヶ月ほどは毎日餌をあげていた。しかし、今は6日間ほどあげない時もあった。
 

 これは一種の『あ飽きる』という事だと僕は思う。僕もたまに飽きる事もある。しかしこのような名言もある。
 

 『飽きるというのも一つの才能である。』
 

 僕はこの名言には賛成である。飽きるというのはそのことについてすべて知った、すべてをやった事になる。しかし
 

 僕の妹については例外だと思う。 
                                     
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