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余談や脱線大切に |
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たば星人 |
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あころ |
中1 |
新聞というものをまるで読まないと言い切っている人がいる。私は、新聞を、毎日立つ縁日ののようなものであると見ている節がある。縁日であるから、 |
やはりそこには日常生活の時間の流れと異なった様々な偶然の介入があった方がよい。演劇・音楽・催し・人についてなど、こうした自分が知っているから |
隠れた意味が明らかになるといった事実は、なるべく宝探しのように、それらしくないところにおいてあった方がよい。だから本についても、音楽について |
も、しかるべき欄ではなくて、コラムの方得られる情報の方に生々とした関心を呼ぶものが多いというのは、情報の活性化の面でちょっと気にとめておく必 |
要のある事実かもしれない。やはり、宝探しのように情報も予想されないような背景の中に含められている方が、ユニークなメッセージを帯びる可能性が大 |
きいといえるかもしれない。 |
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僕は、おじさん臭いといわれるかもしれないが、新聞を読むのが好きだ。ぼくが好きな欄は、~~コラムという題名が着いていたり、テレビ欄の前のペー |
ジぐらいに書いてあるあまり重要でないところだ。そういうところにおもしろい記事が、かいてあるものなのだ 僕は、著者が言っている(書いている?) |
ことは正しいと思う。その理由は第一に、授業中でも先生がする余談の方が頭に入っていることがあるからだ。例えば、美術の時間のことだ。美術の先生は |
普通の授業でもよく脱線する先生だ。その先生は、生徒がアイデアスケッチを書いたりしている(作業をしている)時に美術室にある本を読んでくれる先生 |
だ。この先生に、この前の時間に教えてもらった?ことを僕はまだ覚えている。それは、地獄の六道の話しだった。先生の本によると、人間は死ぬと地獄に |
行ってえんま大王の裁きをうけなければならないということだ。その人の罪の重い順から、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道で、刑罰は、 |
四番目の修羅道が一番きついそうで、それはそこに入った人間が自分は悪くないと思いこんでいるいるからだそうだ。とまあ、このような話しが、ずっと続 |
くのだが、なぜかこの話は印象深く覚えていた。このように、余談のような何の情報があるかわからないようなところに情報があった方が印象が強いと思う |
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第二の理由は、今「パラサイト イブ」という本を読んでいるのだが、その本を読んでいても、ミトコンドリアのことだとか、細胞のことが出てきたとき |
、自然とそれを知識として蓄えているからだ。まあ、その説明は長くなるのでしないでおくが、結構頭に入ってくるものなのだ。 |
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確かに、それらしいところにそれがあった方がわかりやすくてよいという人の言うこともわからなくはないしかし「雑草はまだその美点が発見されていな |
い植物のことである」という言葉があるように、そこに何があるかわからないから惹かれるということもあると思う。だから僕は、余談や、脱線は必要だと |
思う。 |
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