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旅する理由 アジサイ の広場
AE86 えや 高1

 私たちは旅、未知との遭遇の要素を多く含んだ旅に出るとき、どこかへ行きたいとか、何かを調べたいとかなどといった、なんらかの目的をもった自分の
意志とは別に、一種のあやしい胸のときめきを感じる。  

 旅には主に二種類ある。「慎重タイプ」と「行き当たりバッタリタイプ」である。主に前者はツアー、後者は各家庭に向いているのではないだろうか。私
は何をするにも「行き当たりバッタリタイプ」である。なぜなら、未知との遭遇がたくさんあるからだ。確かに、綿密に計画を立てて慎重に行動するのも良 い。その理由は、各名所の見落としが無いということだ。しかし、綿密に計画を立てすぎて各地を見る時間が極端に短くなってしまったり、何もかもがマニ ュアル通りに進んでしまったりして、不具合も多く発生する。旅はアクシデントがあるから面白いのだ。そこでの経験がその後の人生に役立つのだ。私は家 族と一緒に旅行するときは、ほぼ毎回と言って良いほど「行き当たりバッタリ」である。しかし、それは車で行くときだけの話だ。電車などで行くときには 、時間などに限りがある為、ある程度の計画を立てる。  

 私は遠くまで自転車で出掛けることがしばしばある。そういう時も行き当たりバッタリである。最近の体験では、横浜まで自転車で行き、普通の道を帰っ
てきたはずが、何故か上大岡の裏道に出てしまい、出てくるのに苦労した。又、少し昔の話になれば、大磯まで自転車で行ったは良いが、帰りは鎌倉に出て しまった。この様に、方向オンチには「行き当たりバッタリタイプの旅」は向かないかもしれない。  

 私は、人生においても「行き当たりバッタリ」が多かった。「そのうち何とかなる」「誰かが何とかしてくれる」などと言う考えだった。しかし、今は違
う。「やりたいことは自分でやる」といった考え方に変わったのだ。  

 「人が旅行するのは到着するためではなく、旅行するためである」という名言があるように、目的地など関係ないのだ。問題はそこに行くまで取得した経
験である。  

 
                                               
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