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清書:入試と内申点 アジサイ の広場
横浜太郎 あわか 中3

 内申点は、高校受験する際の一つの目安である。高校の受験の合否は、入試とこの内申点でほぼ決まるらしい。僕の住んでいる神奈川県では、他県に比べ
公立高校受験において、受験に占める内申点の割合が六割と高い。内申点=学校の成績だから、「内申点が重視されるのは当たり前やんけ」という意見がある 。逆に、「いやいや、内申点は本当の実力ではないのだよ、フッフッフ」という人もいる。では、内申点の割合を高くした方がよいのか、はたまた入試の点数 の割合を高くした方がよいのか、そもそも内申点、入試それぞれの長所・短所はなんなのかを考えていこうと思う。  

 まず内申点の判断基準であるが、これは各学校、各教科、各先生によって基準が違うので一概にこうだとは言えないが、英数国理社の主要5科であれば、
定期テストの結果を重視して、おまけ程度に授業態度を入れる先生が、少なくとも僕の学校には多い。また、音美体技・家の実技4科であれば、一番にその 生徒の技能・授業態度をみて、次にテストの結果をみるという先生が多いように思う。  

 このことからいえることは、主要科目は結果オーライ、技能科目は才能やまめな努力が重視されるということだ。よって内申点の長所は、主要科目であれ
ば知っていた者勝ち、わかっていた者勝ちということ、技能科目なら才能のある者勝ちといえる。全体を通しての長所は、判断期間が長いため、修正がきく 可能性もあるということだが、判断期間が長ければ一度よい結果を出せても、その結果を維持できるとは限らないのでこれは短所でもある。内申点の潜在的 な短所は、評価が5、あるいは10コの段階しかない(多分)ため、例えば5段階評価で3の上にいる人でも、3の下にいる人でも評価は同じになってしまう ということだ。  

 一方入試は、自分を知らない高校の先生が第三者的に丸をつけるので、ある意味フェアであるといえる。入試は一発勝負であるから、その日に心身頭脳が
ベストコンディションで、他の受験生よりちょっとその問題について知っている、あるいは理解している者が勝つ。つまり、その日ベストコンディションで ある人には、これはこの上ない長所なのだが、逆に最悪のコンディションである人にとってはとてつもないハンディ、短所になる。  

 現在、日本では受験戦争と言われるほど受験がものすごく競争化している。受験生である僕の周りでも、「××君(ちゃん)は高校どうするの」だとか「△△高
校は~だから…」というような声を聞くのが、1・2年のときに比べ確実に多くなってきた。そして、塾などでも「みんななら受かる!」など闘争心を起こさせ る言葉をかけられることが非常に多い。その為か、クラスや学年の団結力が弱くなっているように感じる。今は1月。内申点もでて、志望校も決まり、あと は入試に向けて最終コーナーを回り、ラスト・スパートのためにムチが入ったといったところだ。そんな時に、わざわざ受験は内申点を重視すべきか、入試 点を重視すべきかなどと考える人もあまりいないと思うが、考えるチャンスをもらって考えた結果、僕の意見では五分五分が良いという結論にたどり着いた 。内申点と入試の良さ、それぞれいいところを出し合って受験を作るというのが良いと思う。  

 だが、話の本題から少々ずれるが、それよりも大事なことがいくつかある。まず、勉強をただ受験のためだけにするのではないこと。確かに、「勉強なんて
受験のためだけにやるんだよ」という人もいる。しかし、それは受験がある理由からはずれている。そういう人は、高校・大学に入ったら勉強する意義を無く してしまう。「理想に到達するための手段はまた、理想への到達を阻む障害でもある」、勉強することは合格のための手段だが、その勉強の仕方、意欲によっ て、その後の、「人間」としての理想への到達を阻むものでもあるのだ。  

 次に、なんでも受験に結び付けないこと。「内申点を上げるために~をやる」ではなく、自分が本当にやりたいのでなければ、その誠意は無駄にこそならな
いが半減してしまう。  

 上のようなことを実行して、自分の将来を考えた上でフェアに受験に望みたい。結局、内申点も入試も、“戦争”をするためにあるのではないのだから。
 

 
                                         
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