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私が本当に「日本」を身をもって アジサイ の広場
陽一 あわつ 中3

 かの有名な岡本太郎は上野の博物館で縄文式土器を見て「日本」を身を持って発見した。常識的に言うと「日本風」とはまったく正反対だ。あまりにも異
質なのでそれまでは誰もがこの国の伝統とは考えなかった。単に考古学的資料として扱われ、美術史からも除外されていた。  

 しかし岡本太郎はそこに日本人としてビリビリと受け止める、迫ってくるものを感じ取り、その感動を文章にして発表した。それは世間にひどく衝撃的な
発言として受け取られた。  

 今、欧米の方ばかりに目をむけ、すべての価値判断を預けて己を軽くしていく、現代だが、その欧米の文化自体が壁にぶつかって、存在感を絶望的に失い
つつある。  

 西欧世紀末以来のいわゆる芸術運動、エリートだけの、「芸術」の枠内での戦いは空しい。民衆全体、風土の生活全体に響き、うねりを及ぼすような運動
であるべきだ。  

 岡本太郎の作品は彼の言葉「芸術は爆発だ」というだけあってバスなどに絵を描いた時に、爆発した絵を描いていて、とても批判を浴びていた。しかし今
、その描きかたが見直されていっている。  

 先週の作文にも書いたことだが、みんなが「良いもの」をいうとみんなが「良い」「良い」と言い出し、いずれ「常識」となってしまう。
 

 ゲームなども最近だと本物とうりふたつの画像が出てきている。しかし、僕としてはカクカクとした「これぞゲーム」という画面でのゲームの方がおもし
ろく感じられる。  

 「常識の考えにあわせる」のも良いが、「自分適な考えをもつ」のも大切である。一番大切なのは、2つを併せ持つのが大切である。
 

 
                                         
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