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ラレとトレル イチゴ の広場
玲子 あたゆ 中2

 ラレルは、四つの仕事を同時に受け持つ、じつによく働く勤勉な助動詞である。ら抜き言葉は「可能」において頻繁に現れる。その一方で、とりわけ可能
の表現をラレルから独立させ、つまりラ抜きのレルにして、「見れる」「来れる」「起きれる」という具合に表現することにした。ラレルよりレルの方が発 音しやすく簡潔でもあるので、よく使う可能表現をレルにしてしまったということもあるかもしれない。  

 ラレルがレルに変わっていくように、古くからあるものが段々変わってくることがある。しかしこれはいい事なのだろうか。たとえば「姥捨て山」という
昔話がある。それはお年寄りは役に立たないから捨ててしまえといっていた時から、お年寄りは大切だと変わっていくお話である。なぜならばお年寄りはそ れなりの長い時を過ごしてきたのだ。つまりいろいろな知恵があるということだ。これはラレルとレルにもあてはまることだと思う。古いものにはそれなり の良さがあるのだ。  

 しかし新しいものにもいいことがあるはずだ。たとえば今の世の中もずっと古いものにとらわれていたら、今の私たちの生活はないのだ。新しく、便利に
していくことは決して悪いことではないはずだ。その証拠に、レルは発音がラレルよりしやすく、友達などと話している時はラレルを使うと意味が多少変わ ってきたりして、大変だったりすることを減らしてくれている。  

 しかしその二つのことだけではいけない事もあると思う。それは新しいものを作っていく中で、古いものを大切にし、みんなで生活をよりよくすることが
必要だと思う。つまり「家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人である」というように言葉の専門家がいい、悪いを決めるのではなく言葉を最 大限に使う私たちが決めていくことである。  

 
                                                 
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