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今の時間は無駄でしょうか アジサイ の広場
金剛くん あゆわ 中3

 今まで人間はどんどん手間を省いてきた。しかし人間には成長に最低限必要な手間というものがある。手間とはそれを経験した人の個性を伸ばし人間らし
さを増幅させるものなのである。オーストラリアにはそういうオリエンテーションもある。それによって本能的なアンテナの修練をするのだ。現代ではあら ゆる物がそろい、いやなものは避ければよいので本能的なアンテナの修練をする機会がない。初めて知ったことの感激、経験による思い出は決して陳腐する こともなく心に残るのだ。  

 僕は無駄を省くことによって怠けるのでなく新たに何かをするべきだと思う。そのためには便利さに頼りつづけないこと大切だと思う。僕もよく陸上部の
練習などで校庭をぐるぐる走る。はっきりいって無駄である。しかし走ることによってきっと何かを得られるのである。(‘きっと’である。疲れるだけかも しれない(笑))また僕はしばしば(しばしばである)上大岡などに走っていく。バスや車で行ってきたときは見つからなかった。お店などが見つかったりした。 こういうことが大切なのであると思う。  

 又昔エジソンは投票結果を素早く表わせるような機械を発明したときに開票にわざと時間をかけることで負けている方がたたくのだと言われ拒否されてし
まった。無駄はいろいろと役に立っているのである。また今はその余裕の無さから実験を省略することが多い。しかし実験は大切である。まず心に残り覚え やすいし新たな発見がある。  

 だから大切なのはいかに無駄を省くかではなく「私たちの人生は、私達が費やしただけの価値がある。」という名言のように無駄を省くことによって自分
の人生をよいものにしていくべきである。  

 
                                                 
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