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固有名詞の重要性 アジサイ の広場
太公望 うの 高2

 わたしたち日本人は、固有名詞に対して特別な意識を持っていない。世界各国は固有名詞が政治的な重要な要素が含まれていると考えている。このままで
は、日本は世界との競争の場で一歩遅れを取る事になってしまう。日本人は、固有名詞に対してもっと意識を深めるべきである。  

 世界各国は、物事の勝ち負けに対して非常にうるさいイメージを受ける。しかし、それは勝負に負ける事は自分達の存在が消される事を意味している。日
本は、そんなイメージはないから「どうだっていい」という意識を持っている。例えば今度開催される日韓共同のワールドカップで、韓国が「韓日」にしたの に対し日本が「日韓」というように名前を変えたのに対し韓国側がクレームをつけてのである。我々の意識から言えば普通だと思うのだが韓国が考えるのには 、政治的に譲歩したと考えるらしい。日本人の感覚からいえば「他国の事情に口を出すな」と思うのだが韓国は、固有名詞に特別な意識を持っているからこ のような事態になったのである。もし日本も同じ意識を持っていたら韓国にクレームをつけていただろう。我々は、外からの圧力に対して負けるべきではな いのである。周りの圧力に対して押し通されていると日本の文化が滅ぼされているようなものである。日本人が自虐的になる必要はないのだ。  

 固有名詞には、何かに所属するというイメージがある。今の若い者は、型にはめられるのが嫌いだがもしこの世に固有名詞がなかったらどうなるか。私は
、日本に社会現象を起こした「新世紀エヴァンゲリオン」を見て枠のない世界の恐ろしさを知った。主人公は、何事にも所属せず縛られない世界つまり自由を 望んだら何もない世界という事を知らされた。この世に縛るものがなければ「歩く」ということもできない。しかし、一本の線をひくと天と地ができる。その おかげで「歩く」という事ができるようになった。つまり枠に入るという変わりに新しいものを手に入れるのである。今の世界もそうである。つまり固有名詞 が果たしている役割は大きいのである。  

 確かに固有名詞によって自分が縛られ本来の自分を見失うことは問題だが固有名詞によってしか自分の存在を固定できないのも事実である。これらのバラ
ンスを取ることも重要であるが、我々が固有名詞に対してきちんとした意識を持つ事が大切である。  

 
                                                 
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