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日本人ということ。 アジサイの広場
ノッポいえは高3

 変化の時代の中で、今日本人は、今まで何千年積み重ね、築き上げてきたものを失ってきているのではないだろうか。それぞれの個性が認められるように
なり、大学入試でも「一芸入試」などもあり、個性を生かしている人が脚光を浴びたりもする。けれども、コツコツ努力をし、飛び抜けて出来はしないがどんなこともある程度出来るようになるという力が、今軽く扱われている。 

 この原因として考えられるのは、現在の世界の動きにあると思う。世界は一つという目標を立て、国境をなくそうという動きが世界中で起こっている。た
しかに、様々な文化に触れ、お互い協力しながら生活することによって、多くのものが生まれ快適に暮らせるかもしれない。しかしこの動きは、一つの価値観を全ての人に押しつけているとも言えるのではないだろうか。それぞれの考え方の善し悪しまでも統一していっているのではないだろうか。思想というものは自由でそれぞれ違うものであり、優劣は決して付けられない。豚肉を食べてはいけない宗教もあれば牛肉を食べてはいけない宗教もある。そのどちらも間違っているわけではない。このことと同じように、それぞれの国には祖先から受け継がれてきた思想がある。それには独自の理由があるのだから、経済力が強く世界での発言力も強い欧米の考え方を良いとし、合理的で人道的であるということが正しいとする世界の風潮により、今までのものを壊すということは、間違っているのである。今の日本では、経済力の国を見習いその国全てを受け入れようとしている。しかし、それぞれ違う文化であり、異なった歴史を歩んできたのである。 

 今、日本人に必要なことは、自己中心的な考えと民族意識であると思う。アメリカの大リーグで多くの日本人が活躍している。日本人選手がホームランを
打つたびに日本人は喜び、国民全員で応援をする。しかしながら、次第に新聞の投書欄や社説にこの動きに対する警告文が増えてきたように思う。「日本人を応援することは、軍国主義へ逆戻りしている」、「様々な国の人が活躍しているのに、自国民だけを応援するのは日本人だけであり、そのようなことは変である」。しかし日本人を応援することは軍国主義に戻っているわけでもなく、変なことでもないと思う。たしかに軍国主義の時代、全員が同じ方向に向き、外国人までも巻き込み多くの人を傷つけ、治安維持法などにより自由な活動も阻まれてきた。けれども現在は、世界どこの情報も手に入り、民主的な組織もある。だからこそ、今私たちは自分たちの独自の考えを強く持ち続け、思想までも支配しようとしている地球の流れに流されることなく、自分というものを確立していくべきである。自分たちが築き上げてきたものがあるからこそ新しいもの吟味し取り入れられ、そこで始めて私たちは前進していくのである。 

 
 

 
 

 
 

 
                       
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