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複雑なもの単純なもの アジサイの広場
たば星人あころ中2

 良寛は恐ろしいほど無一物の生を送った。草庵に住み、食は、乞食により、衣は来ている黒衣一つという極限の単純さに生きた。「人は生きるためにいっ
たい何を必要とし、何を必要としないのか」我々は現代物資によって甘やかされており、心身ともに脆弱になっていて、とてもそういう厳しい生に耐えられまい。が、心を良寛の草庵に置いて見ることは出来る。現代文明に埋没している我々が自分の生を全体として見つめ直す気になるのはそういうときくらい位なものだろう。少なくとも私は良寛やそういう生き方をした昔の日本人の生と自分の現在とを比べることによって、初めて自分の置かれている立場を知ることが出来たのであった。 

 確かに、人は極限まで単純でいた方がいいという人もいる。例えば、僕が子供の時は何も道具を使わないで、鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでいた。至
って単純でメジャーな遊びなので、ほとんどの人が小さな時にやったことがあると思う。何故鬼ごっこがはやるのか?それは、その遊びが単純だからだと思う。単純な遊びであればあるほどおもしろいこともあるのだ。 

 しかし、複雑な方が便利で良いという人もいる。例えば、現在僕はテレビゲーム(PS2)という複雑なゲームで遊んでいる。機械が複雑になればなるほ
どゲームはおもしろくなる。 

 つまり、複雑なものも、単純なものもその度合いが極端になればなるほどおもしろくなるのだと思う。複雑なものは、自分で作り替えることが難しい。し
かし、単純なものは自分でアレンジしてもっとおもしろく出来ると思う。しかし一方で、複雑なものは作り替えなくても面白いから普及しているという面があると思う。 

 大切なことは、複雑か・単純かではなくて、ゲームで言えば面白いかつまらないか、家具で言えば便利か便利でないかだと思う。
                         
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