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MY LIFE アジサイの広場
クラシックしふ中2こればかりは自分で体験するしかないが、方法はないわけではない。 

 第一には旅をすることだ。地球上にはまだ浪費文明に侵されず昔ながらの素朴な生活を営んでいるところがいくつもある。アジア、アフリカのいわゆる第
三世界に行けばいまだそれがふつうの暮らし方だし、またアイルランドやメキシコやニュージーランドにたっぷりとそういう暮らしぶりが残っている。わたしはそういう土地に行き、その生き方になじむことで、自分の生きている日本の大都会の生がいかに反自然な人工的なものかを知った。と同時に彼らのその生のほうがいかに人間らしく、自然と調和しているかを味わった。そのほうが効率的生産を求めてあわただしい日本の今の生活よりずっと上等な生だと痛感したのだった。 

 そこで何より思い知らされたのは、人間は生きていく上でなんとわずかの物で足りるかということだった。われわれが生活の必需品のごとく思いなしてい
るさまざまな文明の利器などなくても人間は生きていけるのである。むしろそんなものなしに身を自然の中に置いたほうが、どれほど今自分が生きてあることをしみじみと感じるかもしれないのであった。 

 今の無駄遣いの多い社会が、いいとは思えない。しかし、しょせん、もう、その無駄遣いを止めることは不可能なのである。テレビがない世界、ゲームが
ない世界、車や、電子レンジ、ありとあらゆる物がない世界!それを想像できるだろうか?いや、できるはずもない。小さいころから、それらの物に頼ってきた人間だからこそ、もう、それらの物を手放すことなど、考えられないはずだ。いくら、そんなに昔の生活が憧れであっても、 

 そうやって生きることは、不可能!後の祭りである(笑)まあ、それはそれとして、もしそうなることがあるとすれば、戦争か何かで、景気が絶望的な数
値になった時だけだろう。昔の生活にあこがれるのはかまわないが、 

 実現することは、まず99%不可能である。
 

 それに、昔の生活もいいとは思えない。人は、何かの物事を、工夫して、省略する力をもっている。
 

 以前、この話はどこかの課題でしたと思う。結局、人は最先端にあこがれる。ジャングルの先住民や、
 

 アボリヂニー人も、例外ではない。文化の風をほんの少し吹かせれば、彼らの文化もまた、急速な発展を遂げるだろう。だいたい、昔の暮らしといっても
、当時では最先端の暮らしに間違いないのだから。 

 何てことはない、あらゆる面で考えて、考え抜いた結果は原点に戻ってしまうのだ。昔の生活をするにはを考え、
 

 あーだこーだ言ううちに、やがて、進む道は見えてくる。 あらゆる心理の最終的な答えは、幸せの青い鳥という童話の結末にまさにそっくりである。 
困ったことがあったら、たまには立ち止まって、まわりを見回すのも一つの手だと思う。 

 もしかしたら、思いがけない結末が、まっているのかもしれないのだから・・・・・・・・・・・・・。 
                  
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