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清書:笑えるダジャレ ウグイスの広場
A.Lあそき中1

 勉強は楽しくやらなければ、頭に入らない。たのしくやるために、ダジャレはいいものだ。
 

 僕の学校の社会の先生は、話の途中で時々ダジャレをとばすのだ。例えば、「アーリア人が印度に侵入した時、原住民はなんて叫んだか。アーリア。」と
か、「打製石器はださいからか。」など、みんながしらけるようなものが多い。 

 ダジャレならば、技術の先生が言った、「薪を作るときに、斧を振り下ろすと薪がオーノーと言って、斧がおのれーと言って木を切る、ということはあり
ませんけど……。」という方がみんなにはうける。 

 社会の先生の場合、おもしろく笑える工夫が必要だ。だからと言ってダジャレを言い過ぎると、授業として成り立たなくなる。
 

 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、一人でべらべらと喋っているのはあまり良くない。逆に、あまりにも簡潔過ぎて、何が言いたいのか分からないとい
うのもだめだ。程よく息抜きをするくらいが良いのだ。                         
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