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| 清書:すばらしい野口英世博士 |
| カモメ | の | 森 | の広場
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| 一休さん | / | わら | 小4 |
すばらしい野口英世博士 |
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一休さん |
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僕は那須合宿で、はじめてバスハイクへ出かけた。最も感動したのは、野口英世記念館であった。 |
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レンガ色の家が見えてくると思ったら、それは野口英世記念館だった。きれいな猪苗代湖の前に立ち、わらぶき屋根の野口一家の家が明治時代から残ってい |
た。あと、清作が大やけどを負ったいろりや、クワ等の農業の道具がそろっていた。本当に昔からあったのかと疑うぐらいきれいにそろっていてびっくりし |
てしまった。 |
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そして、静かに流れていた小川や、うぐいすの声も美しく聞こえた。野口記念館の中も静かだった。二階の展示室には、母シカの手紙や研究のことなどが |
、いっぱい書かれていた。有名だったときの新聞がはってあった。このようなものを僕は、ほしいと言う気持ちでいっぱいだった。だから写真だけでもとっ |
ておいた。野口記念館は、野口一家の事ばかりだったので野口一家の事がよく分かった。 |
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野口清作は一歳半の時、左手に大やけどをおった。僕は気の毒だと思った。大学を出てから、先生がたが一人十銭ずつ出して左手の手術を行った。僕は清 |
作がかわいそうにおもった。なぜかというと、麻酔をかけないで手術をしたからだ。清作は、死ぬ気分だったのだと僕は思った。手術が成功しアメリカへ行 |
く時名前が変わった。「英世」というすばらしい名前になり感動した。アメリカに行き毒蛇の研究はいやでやったのだが、そのために大発見がみつかったの |
だ。僕はほっとした。なぜかというと、毒蛇の危険の研究をやって何も発見できなかったらかわいそうだったからだ。次は黄熱病の研究をした。しかしその |
研究で、自分自身が黄熱病にかかってしまい、五十一歳でなくなってしまった。 |
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最後にお母さんに会った時、英世はお母さんに何も言わないで出て行ったので、僕は許せなかった。僕ならお母さんとずっといっしょにいたいと感じた。 |
もし僕が英世だったらお母さんになにかあげて出て行くと思った。しかし、英世の家の柱にきざまれた「志を得ざれば 再びこの地を踏まず」と言う言葉の |
ように、お母さんのことを考えていたならば偉大な研究はできなかったのかもしれない。僕ならどうするだろう。僕なら両方大切にしたい。 |
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僕は、「野口英世」からどんな困難があっても最後まであきらめない強さを学んだ。振り返ると、「野口英世記念館」は緑色の光の中にあった。僕は、未来 |
へ出発した。 |
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