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島国言語 エンジュの広場
潤之介かな中2

 日本語は島国言語である。それは極端な言い方をすると、家族同士の会話を社会全体でもやっているような言語のことで、島国言語の社会で冗語性がすこ
し普通より高くなると、すぐ、理屈っぽい、野暮というような消極的反応を誘発する。大陸言語の社会では冗語性をあまりすくなくすると、相手に誤解されたり、了解不能を訴えられたりするから、ていねいな表現をしなくてはならない。ヨーロッパ語の中でもドイツ語がいちばん冗語性が高いということであるが、われわれがドイツ語を何となく理屈っぽいと感じているのはこの冗語性の高さと無関係ではないように思われる。 

 島国言語の良い点は、相手に対する思いやりがあるからである。例えばK君がS君の家に遊びにいったとしよう。するとS君のお母さんが、
 

 「喉渇いたでしょう。麦茶飲む?あ、S、そこの棚におせんべいあったはずだから取ってきて。」
 

 というようなことをいってくる。するとK君はこう答える。
 

 「あ、いいですよおばさん。そんなお腹も減ってないし、喉も渇いてないから。」
 

 だけどおばさんは、
 

 「そんな遠慮しなくてもいいのよ。さあ食べなさい。」
 

 といい、そこで初めてK君は、
 

 「それじゃあいただきます。」
 

 と言えるのだ。「欲しい?」と聞かれて、「いえ、いいです。」と答え、「遠慮しないの。」と言われ、「それじゃあいただきます。」これは大体どこで
も見られる現象である。結局食べるんだったら、最初からいただきますと言えばいいのだが、そんなことをしたら、『がっついた子ね』とか思われるだろう。上のように答えるのが習慣というか、礼儀というか、むしろ友達の家で何かもらうときの儀式とも言えなくもない。これは多分、「いえ、いいです」という相手を思いやる言葉がパターン化したものと考えられる。だが、このような反応を冗語性の高い国でやったらどうなるか、再現してみる。 

 「喉渇いたでしょう。コーヒー飲む?あ、S、そこの棚にクッキーあったはずだから取ってきて。」 「あ、いいですよおばさん。そんなお腹も減ってな
いし、喉も渇いてないから。」 「あらそう。じゃあいらないわね。」 

 ―――――完。というような結果になる。相手を思いやっても曖昧にやったら通じない。心の中のことをしっかりきっぱり言わないと自分が泣きを見る。
私はそんな社会は嫌である。恩をあだで返されるような社会よりか、恩を恩で返される社会の方がいい。 もう一つの島国言語のよい点は、省略が多いことである。英語では告白するとき、「I(私は)LOVE(愛してる)YOU(あなたを)。」としっかり主語と述語などをはっきりさせなければいけないが、日本で告白するときは(手紙という手もあるが)、「好きです。」で事足りる。「私はあなたが好きです。」などといったらものすごく不自然な感じがする。球技などで、ある一定の動きをするときも省略は便利である。「お前がそっちいって、あいつがあっちいって、俺がああいくフォーメーションでいくぞ!」よりか「フォーメーションA!」とかいった方が、相手にも手の内がばれないし、簡潔に伝えられる。こういうことからも島国言語は必要なものである。 しかし、島国言語は省略などが多くて便利。というのは、日本国内だけである。アメリカへ行って「LOVE」なんていっても、何に対してLOVEなんだよ。と文句を言われると思う。だからこれからの国際化社会には第一人称が五つや六つある島国言語なんて不向きなのである。簡潔に正確に伝えられるものが好まれる。だから英語は万国共通なのである。だが万国共通で誰にでも通じる言葉が正しいわけではない。実際に英語は、日本語のような微妙な言い回しができない。「うん」

「はい」「ああ」すべて英語にすると「YES」になってしまう。これは私にとっては不便である。本に「永遠のジャック&ベティ」という本がある。これは、
昔の英語の教科書に出てきた少年と少女が50歳になって再び会ったという本である。私はこれを読んで英語を直訳するとこんなにも変てこりんな文章になるのかと驚いた。それはこんな内容である。 

 「あなたは朝食に、何を食べるのが好きですか?」 「私は、パンと、サラダと、卵たち(笑)と、ミルクを飲むのが好きです。」 こんな文章が永遠30ペ
ージくらい続くのである。本当にみんながこんな喋り方したら恐いだろうなあと、つくづく思った。英語は確かに伝わりやすいかもしれないが、私にはその伝わりやすさが不気味である。それに英語のボキャブラリーには限界がある。しかし島国言語の場合は、比喩法、体言止め、対置法、擬人法など、たくさんの言葉の表し方があり、ネタが尽きるということがない。だから言葉に文学を求めるのだったら島国言語の方がいいと思う。 

 こうしてみると島国言語には、良い面と悪い面がある。だが、一番重要なのは何が良くて何が悪いかではなく、聞く相手の方を考え、その人に合った言葉
を話すことができることではないだろうか。                 
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