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日本語は、いままで アジサイの広場
キウィいしわ高3日本人が自分の言語を見るときは、完全に内側の視点でみている。だが、外国人は、ことばのきまりも発音の仕方も知らないので日本語を習うのだから、外の視点しか持っていないということになる。 

 よく私は、ニュージーランドの人に「あなたの名前ってなんて言えばいいの?」とか、「もう一度いってくれる?」とよく言われる。なぜならば、こっち
の人にとって日本人の名前は、難しいらしい。まるで、私たち日本人が、他の国の人の名前が簡単に覚えられないのと同じだ。日本には、ローマ字とひらがなとカタカナと漢字がある。ローマ字は、アルファベッドだが、英語読みでも何でもなくただの日本語の一部分にしかならない。ニュージーの人が、もし日本語を習ったら初めに習うのがローマ字次が、ひらがな、その次がカタカナで、最後に漢字なのだ。漢字と言っても山とか簡単な漢字なので、手紙とか日本語で書いてもらっても、結局何が言いたいのかが分からない。なぜならば、日本語には、同じ字にも色々な意味がある。その区別をつける漢字が書けないから困る。 

 私は、ニュージーの人が日本語を習ってるっているのは、大変嬉しいことだと思うが、著者も言ってる通り、日本語は変わってきている。だから、日本語
を教えるのも大変だと思う。だから、こっちの人に日本語で話されたら、敬語で話される。なぜならばわたしは、敬語はこれからも大して変わることもないと思う。だが、わたしは、日本人の人々が日本語を刈りこんで、これからどんどん世界に進出して欲しいと思う。                           
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