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相手の気持ち アジサイの広場
ひまわりあなつ高2人が激痛でうずくまり冷や汗を流している。そのとき自分は心痛する。しかしそれは、彼が痛い、ということを想像しているのではなく、彼に成り変った自分の痛みである。しかしだといって自分が想像上の自分の痛みに心痛しているのではなく、その対象は彼なのである。このような奇妙な状況の中で、彼に成り変った想像上の自分が、彼を眺めている自分と苦しそうな彼との間を飛びかっている。そしてそれは自分と彼とを「人間仲間」として結び付けている。こ 

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私は全くその通りだと思う。最近では、全く信じられない犯罪ばかり起きているが、それは、筆者の言う飛び交いがなくなって心なき者が増えている証拠である。殺人事件など、相手の身に自分をあてはめて想像しないからできることである。もう一つ例をとれば、いじめである。いじめはますます悪質なものとなっている。いじめている者はやはり、いじめられている者に成り変ったりしないし、心痛などできないからいじめができるのだ。つまり、いじめている者 

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なぜ、最近では相手に成りかわって想像することが減ったのか。納得したくない答えだが、時代のせいなのだと思う。今の時代と言うのは、不景気とはいえかなり私達は恵まれている。昔のように辛い経験をすることがない。だから相手の気持ちなんて想像出来ないのかもしれない。よく、涙を多く流した人ほど人の気持ちがわかるというけれど、まさにその通りで、自分が分からなければ、相手のことなんてそう簡単にわからない。私は、相手に成り変って想像することは、慣れる事が大事なのだと思う。私の父が幼い頃の時代は、みんながみんな貧しかったから、相手の気持ちが身にしみてわかって、そんなのしょっ中 

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相手の身になって考える事は、非常に難しい。普段生活しているうえで、常に相手の身になって、気持ちを知る事ができたらどんなにいいだろう。大人も子供もいつも時間におわれてせかせかしている今、そして常に恵まれている状態の今、相手と交わりを持つ機会が減ってはいるが、せっかく人として生まれて 

 
                         
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