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インドではほうぼうの町角で アジサイ の広場
友葵 あしも 小5 インドではほうぼうの町角で  2001・6・12  

 一言で言えば、日本が大量生産大量消費の工業国であり、インドが貧しい国だといういうことなのだろうが、私は、両方を見比べてなんだか釈然としない
のである。なぜなら、どっちかが間違っているように思えてならないのだ。そういう点からばかりでなく、子供たちの教育、心の問題としても、現在の日本 のような経済力にまかせた浪費習慣は、よい影響をあたえるとは、考えにくい。  

 私は、新しい物を使うのは大好きだ。ほとんどの人が、そうだろう。この長文をよんで、
 

 「古い物も大切につかわないとなぁ。」
 

 と、思った。私のお母さんは、リコーダーや裁縫道具などをずっと残してある。お父さんも、リコーダーを残してある。学校で裁縫セットを買わずに、古
いのを使うことを、  

 「やだなぁー。」
 

 と、思っていたが、この長文を読んで嬉しかった。同時に、
 

 「お母さんはえらい!!」
 

 と、思った。
 

 日本の自転車屋さんでは、新しく、きれいな色のついた自転車ばかり売っている。それどころか、電動自転車なんか売っている。
 

 インドの人がそういう日本の自転車屋さんに行ったら、どう思うだろうか。まず、びっくりするだろう。そして、 「わぁ、日本の自転車屋は、格好いい
なぁ!!」 と、うらやましく思うか。それとも、  

 「だめだなぁ。日本人は。自転車にいろんな物をどんどん使って、捨てて。」 と、あきれるか。 もしも、日本が、インドのように、最後までとことん
使いきる国だったら、もしかしたら、ゴミが少なくて、オゾン層が破壊されてなかったかもしれない。そして、自然も、もっといっぱい残っていたかもしれ ない。そういうふうに考えると、  

 「日本ってだめな国だなぁ。」 と、思ってしまう。確かに、日本はいい所もいっぱいあると思う。しかし、そういう点では、国として恥ずかしいと思う
。もう少し、インドのように何でも、とことん使い切ればいいと思う。 例えば、鉛筆も、まだ長くて使えるのに、  

 「書きにくいから。」 と、言って捨てないで、少々短くても、使って使ってもう使えないという時に捨てればいいと思う。国じゅうで一人だけがそれを
努力しても、変化はあまりないと思うけど、もし、国じゅうの人、みんなが、それを努力したら、木、一本ぐらい鉛筆に使わなくてもよくなるんじゃないか 。 そういうふうに、一人一人が努力したら、もっといい国になると思う。  

 
                             
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