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アジサイ の広場
日本太郎 あねひ 中1

 見テ 知リソ
 

 知リテ ナ見ソ
 

 われわれは「知る」ということをとても大事なこととして考えている。しかし物事を判断したり、それを味わったりするとき、その予備知識や固定観念が
かえって邪魔になることがある。だからまず見る、それに触れる、そこから得る直感を大事にすることが大切だとこの詩は言っている。  

 けれどそう簡単に予備知識や固定観念を物事を判断したり、味わったりするときにいったん横へ置いておくということはできない。
 

 では、われわれ知る必要がないのかと問われそうだがそういうわけではない。柳宗悦が戒めているのは、知識にがんじがらめにされて自由で柔軟な感覚を
失うな、他の人が別のことを言っていてもその言葉に惑わされるなということだ。  

 僕は、この詩の内容に賛成だ。
 

 第一の理由は、本などを読もうとしている時に、内容をすべて教えられたら、いかにも本を読み終えた気分になってしまい、その本はもう読まないであろ
う。  

 第二の理由は、どんなに偉い人が、自分と正反対のことを言っていたとしてもその言葉に惑わされていたら、自己判断の力が、減ってしまって他の人にし
かたよれなくなってしまうと困るからである。  

 実際に、きのうの番組の話を友達がし始める。しかし僕は、まだビデオにとったのを見ていないのに話されると、見る気がなくなってしまったことがある
 

 僕は、ものを最初に見たときの気持ちを大切にしたい。
                                       
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