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異質への進化 |
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太公望 |
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高2 |
茶ノ木の育て方には栄養成長と成熟成長があるらしいがそれは人間社会にも当てはまるのではないかと感じる。前者の育て方は咲いた花を切ってしまい葉 |
の方に栄養を与える。そして挿し木や取り木の方法で増やしていく。後者の育て方は、ごく普通に花を咲かせ種子を作りそれを植えるというものである。前 |
者では皆平均的な育ち方をするが、後者では優劣というものが出てくる。これを人間社会に置き換えるとどんなレベルの子も一緒に教育をするのと学力に応 |
じてクラス分けをし教育するのがある。今の日本は、子供たちを皆平均的に育てようとする傾向にある。教育の場だけでなく仕事場でも同じように異なる人 |
を同じように統一し管理しているような状況である。これは、今の日本にとって問題ではなかろうか。 |
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なぜ日本人がこのように「皆一緒」を好むようになったのか歴史的に考えてみると明治以降の帝国主義に原因があるのではないかと考えられる。政府、軍を |
中心として基本的理念を示しこれに反するものは処罰するということが太平洋戦争終了時まで続いた。治安維持法などによって国の方針に反対したり戦争に |
反対するものは直ちに処刑されていた。そうすると国民は、自分なりの考えがなくなり国による一種のマインドコントロールに陥っていたと考えても良い。 |
そのため恐怖感も加わって「皆一緒」というのが出来上がってしまったと考えられる。それが今日においても続いているのである。根拠があるわけでは無いが |
遺伝子的なもので身体に染み付いているのかもしれない。 |
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今日の社会的原因を考えてみると日本人の潜在的にある「皆一緒」によって作られた社会のため考えが異なった人やマニアな人は社会から除外されやすいの |
である。つまり変わったものを排除するというシステムが問題なのである。だから小さな声も消去されてしまう。しかし、このため社会の活性化を妨げてい |
るのである。小泉首相がCMで「私が永田町の変人ならば国民の中では普通の人だ」といっていたが確かに永田町の人たちは、お国の為にならないが首相も国 |
民と同じでは困る。国民の声には答えられるだろうが今の日本人がもっと変わるべきなのだから「永田町の変人であり続けよう」というのもどうかと思ってし |
まう。 |
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もっと日本は、考え方において様々な考え方が出ていいと思う。田中外相みたいな人がいても良いと思う。だからといって欧米のような個人主義が突出す |
るわけにもいかないが日本の将来の活性化を考えたら今のままでは当然良くないし変わるべきである。日本人は、異質なものへと変化すべきだ。 |
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