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清書:フィクションとノンフィクション |
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中2 |
『ノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関する一つの仮説に過ぎないのだ。』と書いてあるがそれは当然のはずである。 |
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たとえばここにりんごが置いてあるとする。これはノンフィクションだが文章にはりんごが置いてあるとしか書いてないのだが僕たちはどうしてもそこか |
らりんごの下に何か台や地面があると想像してしまう。つまり僕たちは事実から自分の都合のよいように変えてしまい、想像の世界なのでフィクションにな |
ってしまうのだ。しかも想像とは自分特有のものなのでいくつも出来上がってしまう。それを事実に取ると本当にひとつの仮説に過ぎなくなる。 |
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では世の中すべてフィクションなのかと言うともちろんそうではない。先述したとおり僕たちはある事実を見て何かを感じ取る。だから事実はあるのだ。 |
では例えばどれが事実かというと文章や映像などである。これらを見て判断し、フィクションが起こってしまう。 |
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人の思想はいくつもできる。これはどうしようもないことだ。これに対してできることは事実と言う目の前にあるものをできるだけ大衆に沿って合わせ大 |
衆が判断した『ノンフィクション』というものにすべきだと思う。そしてそこからフィクションというものを導き出そうと思う。 |
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