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自然はいいな アジサイ の広場
雅貴 あめす 小6

 日本産トキの絶滅が確実になったと報じられた。身近な動物の中にも、姿を見ることがまれになったものが少なくない。人間の良識とは、その数が激減し
ている動植物に対し、早急に保護の手を差し延べることだ。絶滅が確実視されるまで放置した後、救済努力を傾注するということには、大きな矛盾を感じる 。ロサンゼルスではカマキリの捕獲が禁止されている。数が激減しているのが理由だ。  

 僕は、「人間もいつか絶滅するんじゃないかな」と思った。僕の学校では、ボランティアでごみ拾いをしてくれている人がいる。そのわけはもちろん学校
にごみが落ちているからだ。つまりは自然破壊する人がいるからだ。自分が見ているところでも自然破壊があった。例えば、僕は野球を習っている。試合の 帰りなどに飴をいただく。そして車の中で飴を食べる。そこまでは普通だ。しかしその後だ。車が走り出すとごみ箱があるのに飴の袋を、あいている窓から 捨てるのだ。それからもう一つある。ある「M」というお店でポテトを食べていた。ふと外を見ていた。  

 「あっあれって○○と○○やろ」
 

 「ほんまや」
 

 「あっーーーーーー川にごみ捨てよった」
 

 というようなことがあった。自然破壊は何か動物の絶滅にもつながるのだ。
 

 ロサンゼルスでは、カマキリを捕獲してはいけないなんて読んでびっくりした。だって今日の水泳で水カマキリが背中についていたのだから。そのときは
すごくびっくりした。何か背中についているように感じていた。それがカマキリだったとは。自分では気がつかなかった。教えられて初めて知った。  

 「おい野口背中にかまきりついてんで」
 

 「えっーーーーーーーーーーーー」
 

 だからあわてて捕獲してもらった。しかしロサンゼルスでは、きっとそういう経験はないのだろうなと思う。
 

 人間にとって自然は大切だ。自然がなければ、僕たちはもう死んでいると思う。なぜなら食べ物がなくなるからだ。みんなついついごみが落ちていれば、
拾う気はなく「触らぬ神にたたりなし」と言うかのように無視するが、拾えばいい事も起こるだろう。    

 
                                   
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