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理屈と偶然 |
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てせ |
中2 |
昔やったハバチの研究のことを思い出す。冬があまり寒くないと、冬眠(休眠)している幼虫の多くが休眠からさめられず、親になれないままもう一年冬 |
を越してしまう。 |
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ふと思いついたのは、「飼育温度は一定ではなく、高温・低温と振れなくてはいけないのではないか」ということであった。予想は的中した。幼虫たちは |
ほとんど死ぬことなく、繭をつくった。 |
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さて、この結果を学会で発表する段になると、ふと思いついた発想には一言も触れず、データに基づいた「論理的」推理を展開する形をとることによって |
、この研究も私自身も、「科学的」な体面を保つことになった。 |
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確かに、理屈的な外見も大切だ。ふだん、私達が使っている教科書などは、元から、書いてあったことが決まっていたようにしか見えなく、A+B=Cである |
という理屈的な表現しか書いていない。私たちにとってはそれだけでいいかもしれない。しかし、この舞台裏に私たちは気にしていないが、理屈を導き出し |
た直感という偶然が積み重なっているものなのだ。 |
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しかし、なぜ偶然ということがいけないのか。偶然というのは理由にならない、こう言うのが一番簡単だ。 |
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例えば、コンパスを使おうとして人を刺してしまった。これはれっきとした偶然だ。しかし、偶然というのが理由ならばこの事件はすまされる。だが、こ |
んなことが通用しないのが社会なのだ。いくら刺してしまった相手に偶然だと言っても聞いてくれるわけ無い。 |
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では元の話にあてはめてみよう。人に危害を加えるということは違うが、教科書に書くときに偶然なんて載せたら勉強になったもんじゃない。 |
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しかし大切なのは偶然という理由よりも理屈という理由よりもそれをみにつける自分にあるのだ。 |
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