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危機意識 |
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恵美子 |
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現在、私達を取り巻く環境はさまざまな問題を抱え、解決の方法が見つからないまま動き続けている。大気汚染、河川や海の汚染、ゴミ問題など、それ自 |
体の問題に留まらず、そこから派生する二次的な環境破壊も大きな問題となっている。これは3,40年程前に高度経済成長という名のもとにやみくもに行 |
なわれた生産活動のツケが回ってきているものと思われる。その当時の国の政策に、危機意識が感じられるものはなく、まして国民一人々々に何十年先の環 |
境を考えるような危機意識があったとは思い難い。 |
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例えば環境問題を考えるときにゴミの問題は我々にとって一番身近で大きな問題であろう。そしてゴミの中でも比較的新しいために、これといった解決策 |
がないままに多種多様に増え続けているのがペットボトルである。商店の棚にはこんなにもたくさんの種類の、しかも同じような品物が本当に必要なのかと |
思う程に並んでいるのが現状である。確かに種類が豊富で持ち運びに便利なので、自分自身も後のことを考えずに、つい買ってしまうのである。しかしこの |
ように利便性ばかりを求めてしまう消費者と、そのニーズに答えると言わんばかりのメーカー側の利潤追求のみの姿勢は、正に危機意識からは遠いものであ |
ると言える。 |
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ゴミの問題は日本だけの問題ではない。もっと広く目を向けてみると、例えばドイツではペットボトルは再生リサイクル品ではなく、回収し再使用してい |
るのである。回収再使用する為にはそれなりに質の高い丈夫な物を使い、形も大きさも画一化され、また街にはペットボトル専用の回収箱が設置され活用さ |
れているのである。ドイツにおいては個人や企業の利得よりも、環境に対する危機意識が優先された結果なのではないだろうか。 |
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日頃我々は目先の事に気を取られがちで、危機意識というものを身近に感じて行動してはいない。「見切り発車」という言葉があるくらいで、これは国民 |
性なのかも知れない。しかし危機意識が持てないということは、イコール人任せ、自立できない、ということである。環境問題のみならず、日常の些細なこ |
とから一人々々が改めて危機意識というものを考えなくてはならない時期がきているのだと、自分への反省も込めて、思うのである。 |
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