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高齢化社会
アジサイの広場
稔央いつや


 自分の住んでいる地域は三十年ほど前に開発された住宅街で、移り住んだのは当時若い働き手だった住人が大半だった。そのため近い将来「老人
の町」になるそうである。その時小学校は将来老人向けの施設に改装されるそうだ。私はこの話を聞いて非常に合理的でいい話だと思った。子供が
多い時、老人が多い時と状況にあわせて施設を柔軟に使い分ける。この、社会が蓄えてきた資本を効果的に生かしていこうとする在り方が高齢化問
題を解決する糸口になるのではないかと思う。
 


 高齢化社会が生む問題は早くから指摘されてきたが、その根本は労働人口が減ることで国の経済力が失われるという、経済の側面から捉えたもの
だった。しかし問題は経済に限らずやがて高齢化社会を迎えることを知った人々の精神的な部分に暗い影を落していることにもあるはずだ。しかし
経済が停滞やマイナス成長を続けることが即暗いこと、となるのはいささか短絡的すぎる。恋愛の成熟度はどんな急な上り坂を登ったかよりもいか
に下り坂をうまく降りていくかにかかっている、という意味のことを言った人がいたが、それは人生のみならず社会についても当てはまると思う。
 


 いうまでもなく戦後の日本は猛烈な成長を成し遂げた。それは急な上り坂を必死で登ったことに喩えることが出来る。以前テレビで、1950年代の
国民が敗戦で失墜した日本の威信を取り戻すため一致団結して南極大陸に観測隊を送ったドキュメンタリー番組を見たが、そのなかに東京港を出港
する「しらせ」を大勢の人々が日の丸を振って送り出すシーンがあった。彼らは日本の意地を見せるという大きな目標に心をひとつにしていた。社
会全体が一丸となって上を目指した時代というのは我々にとってうらやましく思える部分がある。しかしその反面、どうしても社会全体の余裕のな
さ、未熟な側面を感じ取ってしまう。
 


 すでに十分すぎるほどのインフラ整備がなされた現在の日本で昔のような高度成長は望むべくも無い。そこでさっき述べたように上り坂の大勝利
から下り坂の幸せに視点を変えることが重要だと考える。それには小学校を老人施設に変えるような柔軟な発想が効果的だが、目に見える設備だけ
でなく、経験によって培われた老人の知恵も含まれるはずだ。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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