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ノーベル賞をとってやる!
アジサイの広場
YESせし高1


 今日スカイフィッシュを検索した所30000件くらい検索がされていた。スカイフィッシュなんてあんまり聞かない物なのにあんなに沢山の検
索数を見て驚いてしまった。
 


 最近は情報というものを良く聞くようになったと思う。その理由は社会が情報社会だからだと思う。情報と知識を同じ物だと考えている人が多い
と僕は思う。そもそも情報という物は知識と大きく違う。情報という物は途中で変ってしまったりまったく違う物になりがちだ。しかもお手軽で簡
単だ。ただ何かで見たり聞いたりした物を自分の中に入れてはかってに次にまわすといったようなことをすれば情報といった物は成立されてしまう
のだ。しかし知識という物は聞いた物を自分の中に蓄積してそしてもっと別の物に変ったりする事ができる。自分で考えてその物をもっと大きく実
 


 情報はそこらへんを歩いていた時にへんなおばちゃんが話していた話を自分も誰かに伝えれば良いと思う。しかし情報がないと困ってしまう。マ
スコミという仕事は情報が命だ。もとが無ければ何もできない。かといって自分達の持つ知識で何か情報を作ったりしてはその番組は成立しない。
知識があるのに何もできない。これは悲しい事だ。しかし普通の人達は知識があれば情報が無くてもそこから何かを生み出す事ができる。それは人
間のすごいところだと思う。
 


 知識だけあって情報が無い場合例えば科学者とかなんかはそうではないだろうか?人から得た情報をもとに実験してもノーベル賞は取れない。情報
という物は誰かが先にいるから回ってくる物であって情報と同じ事をしても遅いのだ。しかし両方の物を持っていればどうだろうか?両方持っていれ
ば回ってきた情報を自分の中に蓄積して更にそこからイメージを膨らまして違うものを作ったり情報の一つ上をいくような物を作ったり・・・。そうす
ればノーベル賞をとるのも夢じゃないと思う。ただ盗んではだめなら盗んだ物を発展させていくをいう発想もこの世の中必要ではないだろうか?
 


 知識を得る為には本を読むべきだ。情報を蓄積するという事もできるが情報の宝庫は本にある。本を読もう!そして情報を集めよう!そしてノーベ
ル賞をとろう!!
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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