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清書:心の目
アジサイの広場
たば星人あころ中2


 確かに私たち目の見える人間(目あき)は、何でも見えると思っている。実際何かが近くにあれば見えていることの方が多い。例えば、道で人に
ぶつかったり、道に迷ったりしない。これは、確かに便利なことだ。
 


 これに対して、盲人は心の目で物事の深い部分を見ていると思う。それは、この長文にも現されている。盲人の目は、心の目で物事の深い部分を
見ることが出来る。更に何にでも優しく接することが出来る様になるのだという。
 


 しかしこの二つの目には、それそれ短所がある。目あきの目の短所は、物事の深いところが、分かりにくいということだ。盲人の心の目の短所は
、物体の形がまったく見えないということだ。目あきの目の短所を克服するには、常に細かいことに注意する事がいいと思う。そして深い意味を読
みとろうとしている内に、段々分かってくるものだと思う。心の目の短所は、完全な克服は、無理だ。しかし、身体のいろんな部分を使えばかなり
のことが出来るようになると思う。
 


 次に目の役割について考えてみる。目というのは、まず物の形が解り、色が解り、遠近感が解る物だ。このほかのことは、何も解らない。形が見
える目あきは、物事の深い部分を見ようとしないのかもしれない。それに対して心の目は、物事の深い部分が解る。これには、優しさが必要不可欠
で、それがなければ、心の目は見えない。目あきは、優しい気持ちを育て、本物の目の他に心の目も開くと良いと思う。
 


 「トランプが生きているのは、実際にプレーに使われているときである。」という名言がある。目のことも同じで、心の目が生きているのは使っ
ているときだけなのである。誰にでも心の目はあると思う。しかしそれを使うか使わないかでその、心の目が生きているか死んでいるかが分かれる
のだと思う。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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