清書:人心とスポーツ |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
眠雨 | / | うき | 高2 |
近代までのスポーツは、数字の大小によって順位をつけ、勝敗を定めてきた。タイムが何秒早い、得点が何点多い、そんなことを競ってきた。と |
ころが最近、新体操やシンクロナイズドスイミングといった美しさを楽しむスポーツが生まれてきている。 |
こうした舞台芸術的なスポーツが生まれてきた一因としては、生活の安定によって、人々の心に文化的な深みが生まれてきたことがあるだろう。 |
本来サーカスや演劇といった客層がある程度限定された分野で行われてきたことが、国民全体の楽しみとして受け入れられるようになった。美しい |
ものを美しいと感じられる心の余裕が、人々に生まれてきたとも言える。 |
芸術スポーツは運動の堕落だ、と言われるかもしれない。確かにそうしたスポーツは一見いかにも楽で無理のない運動に見える。そこには必死で |
コンマを並走するライバルはいない。が、そうした本番の舞台をつくるために積み重ねられた努力は、競技スポーツのそれに比肩しうるだろう。洗 |
練された動きは、膨大な練習の結果である。水面下の白鳥、という喩も生ぬるい。舞台的な優雅さとはそれ単体が水面を滑るのではなく、常に観客 |
と感動の共有を目指さなくてはならない。表現者であり観客でもあるその姿勢は、動物に喩えられるものでなく、或いは人間のみが持ちうるのかも |
しれない。競い合うのばかりでなく共に感動を分かち合おうとする、その人間的な姿勢に、今日の我々は近づいていくべきだ。 |