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広告の時代 アジサイの広場
UZI.SMGそお高2

 CMによるイメージ戦略は商品を売りさばくうえでは必要不可欠だ。現在は広告の時代と言っても過言ではない。それ程多くのCMが流出してい
る。広告を見ないで一日が過ぎることはありえない。それ程多くの広告が出回るのはなぜであろうか。広告の存在とはなんであろうか。次の例を挙 げて考えてみる。  

 
 

 慢性的赤字にあえいでいた日産は、経営陣を入れ替えるなどのイメージチェンジからはじめた。その結果業績は明らかに好転し、黒字回復までに
至った。僕にとって特に印象的だったのは、テレビCMである。とても車のCMとは思えないような、高級感漂う美しい作品である。だが、実際に 走っている本物を見てみると、確かにデザインは従来のものとは変われども、CMの映像ほどではなく、むしろ月並みに感じた。おそらく、消費者 に対して次のような方程式を駆使しているのだろう。つまり、<「CMで日産車の美しさを目に焼き付ける」→「ショールーム、もちろん車の外観 の魅力を引き立てるように仕組まれている、に足を運ばせる」→「車を試乗させてドライビング性能や内装のすばらしさを実感させる」> という 仕組みだ。このシステムの中では、消費者は特に、車の外観について、自然光での印象は持てない。つまり、消費者は作られたイメージ(虚像)だ けで購入してしまうのだ。もちろん、店員もあの手この手を尽くして駄目押しするはずだ。  

 
 

 このように、企業の成長、つまり経済活動の原点は、イメージ戦略であることに気づくだろう。そして、イメージ戦略の代名詞たるCMが消費者
を動かすきっかけであり、つまり、CMが経済活動の起点であると言えるだろう。そして、少なくとも日本は、経済大国であるから、CMがあふれ ていてしかるべきだ。CMがなくなれば、経済活動の規模は急速に収縮し、企業のみならず国家までも成り立たなくなる。CMは、それくらい重要 な基礎であるのだ。  

 だが一方で、例にも書いたとおり、CMのイメージと実際の商品はかけ離れていることが多い。イメージと実体の不一致はなにも珍しいことでは
ないし、むしろ普通だ。その格差がひどいときは詐欺事件になる、というだけだ。もちろん、実体とイメージは時間と共に、あるいはあるきっかけ を通じて、近づいていくことは確かだ。つまり、大抵の商品は、それに見合った評価をされるのだ。そう考えれば、CMは消費者に先入観を与える という言い方が出来ると思う。  

 
 

 このように、宣伝や広告は、自分を売り込んだりアピールしたりするための第一歩なのだ。それを受ける人達はしかし、彼の宣伝文句を素直に受
け取り、信じ込んではいけないのである。なぜなら、それはあくまでも注意を向けさせるための誘導弾であり、実体とかけ離れうるからだ。そして 、結局は自分でその情報を確かめるという作業が必要だ。  

 
 

 (おまけ、挿入しなかったパート)
 

 また、そうした宣伝のたぐいは国家でも行っている。アフガンのテロ事件でもあったように、アメリカ政府は国内メディアに対して、都合の悪い
映像の放送を禁じた。また、大統領の演説も、アメリカは正義でテロは極悪、という図式を国民に刷り込ませるものだった。国家の政策の正当性を 国民に宣伝し、そして情報操作する。これは、国家が一つにまとまるための常識的手段だが、その一方で、自ら本当の情報を調べて、その政策の正 しさを問い掛けることが、政府の暴走を止めるための鍵になる。世界平和を目指すならそうした行動を一人一人が取る必要がある。                                       
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