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講評 題名:生きること・死ぬこと 名前:佐保さん(あるま中1アジサイの広場
内容字数834構成題材表現:主題:表記: ふだん、生きることと死ぬことを緊迫感を持って感じている人は、私も含めて、まわりにはあまりいません。 そ のことは「平和」であるともいえるし、「鈍感」であるとも言えますね。 しかし、時々見聞きするニュースでは 残酷な死や、必死の生が語られていて、それをもとにして「生きるとか死ぬとかいうことは、大変なことなんだな 」と感じる。 でも、結局、肉体的感覚としては薄く、「どこかのできごと」として捉えてしまうものなのですね 。"☆"☆テレビゲームの功罪を考えた二段落目の内容は、ゲームの世界で、どうして「死」を現実のものとして考 えられなくなるのか、言葉を惜しまずに説明できているね。 感心しました。 実は、先生はテレビゲームをした ことがないの。 面白いんだってね。 その面白さがこわいというか、はまってしまいそうで・・・しかし、簡単に 敵を片付けられたり、状況をリセットできることに慣れると、現実でもそのように行動してしまうんだろうか?テ レビゲーム自体に責任を帰するのではなく、現実とゲームの世界の違いを、現実の体験をちゃんと重ねることで区 別できることが必要だと思いませんか? ☆二番目の理由は、「命をありがたくいただく」気持ちの大切さだね。

 捕えた魚は、それまでは生きていたことを想像できるような買い方をあまりできないのが現実ですが、お母さん
は佐保さんに「魚が泣く」と言い聞かせることで、何とか命をいただくことの大切さを知らせようとしたのではな いでしょうか。"☆"☆名言も決まったね。 鈍感になるということは、犠牲になるものに対して、残酷になるとい うことなのかもしれない。 ほかの物の命にも、敏感になれば、感謝やいたわりの気持ちが出てくるということか ふじのみや先生(ふじ
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