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苦痛なる学習 イチゴの広場
雅貴あめす小6 ぼくは、よく母に  

 「勉強しなさい(努)」
 

 と言われる。その時だいたい気が抜けた返事をする。
 

 「ふぁ~~い」
 

 なぜそのような返事をするのかそれは、だいたい検討がつく。「勉強」がいやだからだ。でも良い「勉強」もある。八百屋さんがおまけをしてく
れる意味だ。八百屋さんがおまけしてくれる意味と学習するという意味の二つ種類がある。だから学習する方の「勉強」は「学習」と呼ぶように変 えれば良いのだ。そうすれば「勉強」じゃなくて「学習」だと言ってたくさん勉強じゃなくて学習をするかもしれない  

 母は、よく
 

 「勉強しなさい(努)」
 

 と怒るが長い時にはさらに話が続く。
 

 「お母さんが子供の頃は、親に勉強しろなんていわれたこと無いわ」
 

 といつも同じ話なのだ。でもいつも思うことがある。母の母(おばあさん)はよく病気をしていたと言っている。だから病気ばっかりしていたから
、しんどくてそんなことを考えていなかったのじゃないかと思う。「「勉強」とは、それ自体が目的ではなく、あくまでもそこへ行きつくための手 段にすぎません。手段を目的とかんちがいするときに「勉強」は単なる苦痛の種になってしまうのだと思います」という文があるが本当にそのとお りだと思った。だから自分の目的によって人とする勉強は違うのだ。あの人がそうしているから自分もそうしようとすると、自分のしたいことでは ない為に勉強が苦痛になってしまうのだ。でも自分もそのようになってしまいそうだ。しかし母が自分の道を正してくれているのだと思う。  

 僕達にとって勉強とは、自分の目的に向かう手段に過ぎないものである。しかしだからといって手を抜いたりしてはいけない物だ。 
                                     
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