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| 椅子 |
| イチゴ | の | 谷 | の広場
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| ムッちん | / | との | 中2 |
(このなにもわかっていない馬鹿大人共め!)と昨日僕は思った。電車の中でお年寄りを優先的に座らせるのは日本では一種のマナーである。し |
かし昨日一人のお婆さんが席に座ろうとしたところに急に割って入って中年の親父が座ったのである。そんなに急いでやるべきことがあるのかと見 |
てみると半分寝た状態で本を読んでるだけだったのである。まぁ、よくあることだと思って周りを見てみたら、まだ立つのもおぼつかない2,3歳 |
の子供に立たせて優々と座ってる二十代ほどの母親がいた。これはマナーに反しているわけでは一応無いのだが人道的に問題があると思う。……な |
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これは理性が本能に負けて起こったものだと思う。座りたい、でも座ったら自分は周りの人からいやな目で見られる。こうした理性と本能が拮抗 |
した精神状態で二通りの答えは自ずと出てくる。もちろん(やはり座る)と(だけど座らない)だ。だが後者のほうは(座れない)という言い方を |
する人もいるかもしれない。 |
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現実に一部のものにしか座れない電車の席に本能が勝利した心を持つ人が座っている。普通に座りたいと思ってる人が大半だが、足が怪我してる |
からなどの理由で泣く泣く座る人もいるはずだが、その人も結局は自分の意志に従っているだけなのだ。 |
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電車の車両の中という世界においてその世界に住む住人は世界の人数分が無い椅子というものの存在によって欲を出したり逆に協調性を身につけ |
る。つまりその世界の人数分が無い椅子というものは座る人間、立つ人間に住人を分け人の心の中を映し出してしまうのだ。 |
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だとすればいっそ座席を全て無くしてしまえばいいのではないか?という考えまで浮かんでくる。そうすれば公平になるからだ。だが逆にそれは |
人の心の動きを無くしてしまう。みんな同じ。いい響きではあるが恐ろしいことでもある。 |
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座ることが悪いことではない。僕だって座りたいし、年をとると周りの目なんてどうでもよく思えてしまうかもしれない。だが、一つだけしなけ |
ればならないのが座る前に自分がどんな理由や気持ちによって座りたいという本能に変わったのか考えてみることだと思う。 |
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