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| 思い出は宝物? |
| アジサイ | の | 滝 | の広場
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| TERU | / | ふり | 中3 |
自分にとっての宝物・・・。こういうことはあまり考えたことはない。むしろ、宝物とはなんだろう?私はそちらのほうをまず考えなければなら |
ないのかもしれない。 |
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だいたい「宝物」という言葉を聞いて思い浮かべるのは、小さい頃から大切にしているものだろう。きっと、その宝物には色々な想いが詰ってい |
て、捨てるにも捨てられない。だから長い年月を経ても宝物という存在で自分のそばにあるのだろう。そう、とにかく宝物とは「大切なもの」なの |
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私には大切だと思うものは何か。まず、「もの」というのはない。小さい頃から持っているぬいぐるみがあるが、別にすごく大切にしているわけ |
でもないし、これといった思い出はつまっていない。こう考えてしまうと、私にとって宝物ってなんだろうと、深く悩んでしまう。しかし、宝物と |
いうのは、何も「もの」でなくてもよいのではないかと思う。例えそれが「もの」として存在しなくても、少なくとも自分の中では存在しているも |
の・・・。私にとってそれは「思い出」だ。 |
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なぜ「思い出」だと思ったのだろう。今まではあまりそういうことにはうるさくなかったのだが、最近、受験や勉強に追われているせいか、自分 |
を見つめることが度々ある。自分はどういう人間なのか、自分は今までどんなことが楽しく感じて、どんなことを悲しく感じたのか。時によってさ |
まざまだが、ぼうっとしているときは、必ずといっていいほど自分のことについて考えている。 |
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その中で、今まで自分が歩んできた人生の「思い出」を思い浮かべるときもある。ほとんどが楽しいものだ。家族といった旅行や、アメリカでの |
生活、学校でのくだらないけど、おもしろいと思ったこと、文化祭のこと・・・。思い出すべてが美しいものとは限らないが、私にとってはすべて |
が美しく感じる。たとえ自分にとっていやな思い出でも。 |
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人間なのだから悲しい出来事や、悔しく感じた思い出などはたくさんある。しかし、そのときは本当につらかったが、時が経った今の自分にとっ |
ては「あれはあれで良かったのかもしれない」と思えるようになってくる。たとえば、私は文化祭で、クラスで劇をやった。その劇というのはある |
有名な脚本家が書いた劇で、それを短くして現代語に訳して演じるものだった。私と友達が脚本を手掛け、監督もした。(私は役もやったのだが・ |
・・)その頃は本当に忙しくてつらいことが多かった。練習していても、自分たちの思い通りにいかなくてすごくイライラしたり、クラスがまとま |
らなかったり、とにかく大変だった。その時はつらくてよく友達と一緒に泣いたりしていた。しかし、今思うと、その頃の自分は本当に充実してい |
たのではと思う。「思い出」になったからこそ、そう思えるようになったのだ。 |
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このように、「思い出」というのは自分のつらさを楽にしてくれるということがある。経験してみなくては、このことをわかってくれる人は少な |
いと思うが、この文化祭を通して、私はこれを身に凍みて感じたのだ。最近の私の好きな言葉。それは「時間(とき)が経てば解決してくれる」。 |
本当にそうだと思う。時間が経てばそのつらさは思い出となって過去のものとしてくれる。そしていくらその時につらかった出来事でも笑って話せ |
るときが生きていればくるのだ。 |
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こう考えると、私にとって人生最大の宝物は「思い出」だ。そして、一生この宝物を大切にしていきたいと思っている。また、これからも「思い |
出」を深めるために、色々なことを体験していきたいなと思う。 |
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