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死ということ アジサイの広場
太一あうけ中3 僕は、身近に死というものを感じたことは無いに等しい。幼かった頃に祖母の母が亡くなったときに、家族で駆けつけ、棺おけの横で一夜を過ごし たことならある。だが、この時は、本当にまだ記憶が残らない頃に会ったことしかなかったので、「死」というものを感じることは無かった。むし ろ、その頃信じていた幽霊の存在のほうが怖かったのだ。今思えば大変に失礼な話であるが。しかし、実際に葬式の日が来たら、涙を流すことは無 かったが、心に黒い穴を打ち抜かれたような気分になった。そして、その日のことは今でもこうやってはっきりと覚えている。それだけに、死とい うものを初めて感じて何か心を凄く動かされたのだろう。  

 また、小学生の頃の僕の趣味は飼育だった。色々な生き物を飼って育てていた。特にこの頃は金魚を飼うのが好きだったので、時々新しい種類を
買ってきたりした、新しいものが来るということはいつかはその逆の別れも存在する。飼い始めてから1年ちょっとで、最初の1匹が死んでしまっ た。そして、それを追うようにだんだん数ヶ月経つ度に、1匹づつ居なくなっていった。そして、高学年になることには水槽を物置にしまってしま った。僕は、1匹目が死んだときから、もう新しい金魚を飼おうとしなかったのだ。「結局死んじゃうなら、嫌だ。」こんな考えが当時の僕にはあ  

 しかし、死から逃げてはいけないと思う。いつまでも生きていくなんて不可能なんだし、どんなことにも始まりがあるなら終わりがある。この宇
宙だっていつかは必ず終止符が打たれる。死というものは自然に起こるものなのだ。だから、死というものを特別視しないで、そのことから学び、 経験して人生経験を豊富にして生きていくことが大切だと思う。     .                                                  
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