玉は磨くべし!! |
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拓馬 | / | ねき | 中2 |
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ある科学者が、ある実験を成功させるために、最終的に「ひらめき」があっ |
たとしても、学会に発表する時に、まさか「突然ふと思い付きまして……」など |
とはいえない。その時は、あたかも自分が論理的にその実験を成功させたかの |
ように、「これこれこういう仮説をたてまして……」という風にいうのが適切だ |
ろう。そこで、その人が本当はどのようにしてその実験を成功させたかを考え |
る人はいない。みなその人のいう通り、論理的に成功させたと思う。しかし、 |
科学も技術も、普段思われているのとは異なって、ずっと人間的なものなので |
ある。 |
だれでも、偶然やひらめきから何かを見つけたということは多いのではない |
だろうか。私の場合、絵を描く時などにそういうことがある。いつだったかは |
記憶にないが、右脳の発達が遅い私は、「創造」というのが苦手であった。そん |
な私に、過去の私の担任の教師が、図工の時間に、「なにか絵をかけ」という |
無理難題を手がかりを与えることも無くつきつけてきた。当然私は、何がなん |
だかさっぱり分からず、まさしく五里霧中の状態になってしまった。そんな私 |
がした行動は、ずばり、窓の外を見ることであった。私は何も考えずに流れる |
雲を見ていた。ここで私はひらめいた。「そうだ、先生が何も教えてくれない |
なら、雲にきこう。」と。そして、その雲の形が、クジラに似ていることに気 |
がついた。ここまでいけば、あとは述べる必要はないだろう。そう、私はダチ |
ョウの絵を描いたのだ! というのは冗談で、おぼろげながらクジラという偉大 |
な生物の描写に成功したのだった。このように、偶然というのは、必ず自分を |
助けてくれる。そして、その偶然を、自分の右脳のひらめきでなにか形にかえ |
ることが必要なのだ。右脳の弱い私でもできたのだから、みなできるはずだ!! |
「数学の王様」と呼ばれているフリードリッヒ・ガウスという人は、8歳の時 |
に「1から100までたしたらいくつか?」という問題を出された。正直な人なら、1 |
から100まで順々にたしていくだろう。しかし、ガウスは、1から100までの列 |
の下に、100から1までの列を考え、上下二つの和が、どこをとっても101である |
ことを瞬時に考え、(101×100)÷2=5050という式をたて、先生を驚かした |
という。この才能を見抜いた先生と領主は、頑固な父を説き伏せ、大学の学費 |
を全て引き受け、ガウスを立派な数学者に育て上げた。 この話からも分か |
るように、偶然があって、ひらめきで何か出来ても、さらにその才能を見抜き |
、何か手助けをしてくれる人間がいることが大切だ、ということが分かると思 |
う。 |
「玉磨かざれば器を成さず」という言葉の示す通り、何かすばらしい人間がい |
たとしても、その才能を見抜き、その人を更に磨いてくれる人がいなければ、 |
その玉もたださびて終わってしまう。「ただのひらめきだけの人間に尽くした |
くはない」というように思ってはいけない。それは、外側の「結果」というと |
ころしか見ていないことになる。しかし科学などの成功は、実は偶然とひらめ |
きか大事なのだ。科学も技術も、普段思われているのとは異なって、ずっと人 |
間的なものなのであるということを、深刻に意識することが、今大切なのであ |
る。 |