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人間のおもしろさ
アジサイの広場
りさあいす中3
 世の中は、矛盾を恐れ悪いものと決め付けている。しかし、この矛盾にも良
いものと悪いものがあり、悪いものとは、互いに暗殺しあい無為無能の状態に
なってしまう、つまらないものなのだ。しかし、反対に論理的なものが良いと
いえばそうではない。論理的なものは、同一次元での一貫性のある連続であり
、間の抜けたものなのだ。よって、矛盾してもなく、論理的でもなく、その中
間、いわゆる異次元での一貫性が最も人間には必要なのである。この、異次元
での一貫性をうまく活用させたものの代表例として、芸術があげられる。だか
ら、芸術はおもしろいのである。
 
 これを、芸術ではなく人間として考えてみよう。クラスの人気者はどのよう
な人か。考えてみると、明るくて、ちょっと間の抜けた人ではないだろうか。
まじめな人や、間の抜け過ぎた人は、ちょっと人から軽蔑されてしまう。この
、まじめな人が論理的、間の抜けすぎた人が矛盾とたとえられる。芸術にして
も、人間性にしても面白味のある人の方が人からは、好かれるのである。
 
 日常生活のなかでよく体験する例としては、ファッションがあげられるので
はないか。あまりにまじめすぎる、ワンパターンな着こなしはつまらない。制
服でいえば、スカートは膝下、靴下は三つ折りという感じである。学校の規則
で決まっている事ならしかたがないが、やはり自分としては、ちょっと着こな
しを崩したいというのが本音だろう。
 
 国際的に目をむけてみれば、日本人はいかにまじめなおもしろみの無い人間
だという事が少なからず分かるだろう。国を代表とする小渕首相の話を聞いて
いれば分かる事だが、ありきたりのことしか言わない。逆に、クリントンなど
はときどきアメリカンジョークなども交えて話すため、話に花が咲く。このこ
とからも、人間にはおもしろみが必要だということがよく分かるだろう。
 
 「何事もしない者だけが失敗もしない」という言葉があるように、いたって
まじめで、ワンパターンのことしかしない人は、失敗もしないので、おもしろ
みがない。よって、人間はより楽しく過ごすためには失敗を恐れず、自分のや
りたい事を、おもしろおかしく行う必要があるのだ。あくまで、度を過ぎる一
歩手前までだが・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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