先頭ページ 前ページ 次ページ 最終ページ
言葉をもった機械
アジサイの広場
はるるくあ小6
 さて、人間を科学的に知ろうとすると、えてして人間を、機械のように考え
ようとする傾向がある。なら、人間は複雑な機械にすぎないのだろうか。しか
し、機械をつくる科学は急速に進歩しているが、そういう科学では生物や人間
のことは必ずしもわからないのだ。それは、人間は、いつも生きているからだ
。機械は使っていくうちにむしろ性能が落ちてゆくのだから、人間とはまるで
反対、人間は進歩発展するようにつくられている、ということなになる。
 
 このごろ、デパートや、自動販売機でみみにするが、あの「アリガトウゴザ
イマシタ」はいったいなんなのだろうか、、、、、、。
 
 はっきりいって、私は、あの声は嫌いだ。心がこもってないからである。な
んでも、言えばいいというものではないと思う。「ありがとうございました」
は、人が、心をその言葉にふきこんでから、はじめていうものだと感じるし、
相手も、機械の声にいわれて、うれしいと思うだろうか。すくなくても、私は
思わない。やっぱり、同じ人にお言われたい。
 
 たとえば、ある、機械の声をもつ自動販売機と、英語が話せないおばあさん
がいとなんでいる駄菓子屋があったとする。そこへ、外国人がやってきたとし
よう。自動販売機は、当然日本語の「アリガトウゴザイマシタ」をいう。だが
、駄菓子屋はどうだろう。そのおばあさんはいっしょうけんめい英語を練習し
ていて、ちゃんと返事ができるようになったのだ。
 
 私は、機械のことを、全面からは否定していない。意志をもったロボットが
登場してくれれば、それはあいがたいと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホームページ