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「余白」と「集中」
アジサイの広場
AE86えや中3
 話し上手の人がいる。しかし、その人をおしゃべりとは呼ばないだろう。そ
のことを私なりに考えてみると饒舌の人は、とかく「間」をとることに気が回
らなかったり、「間」の必要を感じていない場合が多いのに対して、話し上手
と呼ばれる人は、意識して、あるいは無意識のうちに、うまく「間」をとり入
れている違いがあるように思う。いかなる名言、名文句も、同類のものがただ
すきまもなく積み重ねられるだけでは効果は乏しく、文章の力みも、ただそれ
ばかりでは弱みに転じてしまうのだ。
 
 学校でよくペラペラ話す人がいる。この人は永遠に「話し上手な人」にはな
れないであろう。なぜなら「話し上手な人」というのは、大事なことを、分か
りやすく伝えるというものだと思うからだ。だから、いくらいっぱい話してい
ても最終的に何を言っていたか忘れてしまうと言うことだ。よって、この人は
「話し上手」にはなれない!
 
 油絵のように、ぎっしりと詰まった絵がある。このようなものは、見ていて
も「どこに何があるかなあ?」なんて探していて疲れてしまう。その逆に、余
白がたくさんある日本の絵などは、なんとなく「ホッ」とできるような気がす
る。このように、余白があった方が「ホッ」とできるといういうことは、「ポ
イントを絞って、集中して見れる」ということだと思う。
 
 「話し上手な人」は「ポイントを絞って話しをする」というところが抜群に
うまいのだ。
 
 人生でも「余白」というものは大事である。「ライオンは、一匹のウサギを
倒すにも全力を尽くす」という言葉があるように「余白」と「集中」が大事で
ある。そして「余白」は、人生の中で最も大切な基本である。
 
 僕は、これから「余白」と「集中」を大事にして「話し上手な人」のように
生きていきたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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