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「間」が基本
イチゴの広場
太公望うの中3
 話し上手の人がいる。しかし、その人をおしゃべりとは呼ばないだろう。そ
のことを私なりに考えてみると饒舌の人は、とかく「間」をとることに気が回
らなかったり、「間」の必要を感じていない場合が多いのに対して、話し上手
と呼ばれる人は、意識して、あるいは無意識のうちに、うまく「間」をとり入
れている違いがあるように思う。いかなる名言、名文句も、同類のものがただ
すきまもなく積み重ねられるだけでは効果は乏しく、文章の力みも、ただそれ
ばかりでは弱みに転じてしまうのは苦い教えだ。余韻とか余情、ふくみ、それ
らはすべて、「間」のいかし方にかかわっているように思われる。思わせぶり
な「間」は、いい余韻にも余情にもならないだろう。とすると、自然に「間」
を必要とするのは、必要とするだけの実質をそなえているもの、ということに
なるのだろうか。
 
 学校でよくペラペラ話す人がいる。だからこっちが話そうと思ってもさえぎ
られてしまう。(その人は周りから自己中心的だと言われているらしい?)や
はり「間」というものがないと、いくらいっぱい話していても最終的に何を言
っていたか忘れてしまうと言うことだ。(間が無いからどこが話の終わりか始
まりかよく分からない)だからその人が話し終わると「シーン」としてしまう
。このような事からいかに「間」と言うものが大事かという事を、改めて感じ
た。
 
 どのようにしたらうまく「間」をやるかというと、ポイントを絞って話す。
緩急のリズムが大事である。例えるとプロ野球のナイターで解説者の掛布さん
などが「投球に緩急をつけるのが大事なんですよ」と言うふうに言っているの
と同じである。絵でいうと真っ白な紙に黒い点と言う感じである。
 
 人生でも「間」と言うものが必要である。ある年齢で集中しある年齢で「間
」を取るといった感じだ。「ライオンは、一匹のウサギを倒すにも全力を尽く
す」という言葉もあるように「間」と「集中」が大事である。そして「間」は
基本である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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