「間」の大切さ |
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哲也 | / | くさ | 中2 |
話し上手と、おしゃべりとは異なったものだと思う。おしゃべりな人という |
のは、とかく「間」をとることに気が回らない。それに対し、話し上手と呼ば |
れる人は、意識して、あるいは無意識のうちに、うまく「間」を取り入れてい |
る。 |
私の小学校からの友達に、意識しているのか、意識していないのかは良く分 |
からないが、「間」を持たせながら話す、なかなかの話し上手がいる。中学生 |
になって同じ部活に入ったので、朝練や試合の時、特に、部活帰りは毎日一緒 |
に帰っている。あまり話すことがないからなのかもしれないけれど、とにかく |
「間」をとってくれる。最初の方は、その日の部活の出来事などを話し、そこ |
で‘間’あ‘間’あな適度の「間」をとり、次の学校での出来事などの話題に |
移る。「間」を取ることによって、会話もだんだんと弾んでくる。と、これが |
毎日のように続くのである。言い換えるならば、肝心なところで集中できる「 |
プロ」というものだろう。 |
これに対し、年がら年中しゃべりっぱなしという感じのどこか「間」の抜け |
たような友達も同じ部活にいて、仲が良くなってしまった。「間」という言葉 |
に全く縁がない人といっても過言ではないという有り様だ。学校の先生などで |
よく、一人だけで話を進めて質問をさせてくれる余裕も与えてくれないという |
先生がたまにいるらしい、ということを聞いたことがある。私の学校にもそれ |
に似た先生がいたが、いつもの二倍は疲れたような気がした。つまり、おしゃ |
べりと呼ばれるものなのだろう。ところが私の友達は違った。話していても疲 |
れないのだ。むしろ、だんだん楽しくなっていった。密かに、「間」を大切に |
していたのだろうか。 |
「ライオンは一匹のウサギを倒すためにも、全力を尽す」という言葉がある |
ように、適度な「間」をとり肝心なところで集中するということが大切だ。 |