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生物界の中で
アジサイの広場
ドリカムうせ中3
 クジラや、ライオンのような大型哺乳類は、自分の生活に便利なように体型
が変化しており限られた環境でしか生きていけない。反対に、サルの仲間は、
もともと学習する種で、環境に対する柔軟性において進化していたので、様々
な環境に適応できる。しかし、サル以上に顕著なものは、ヒトである。ヒトの
生存や種族維持は、経験に基づく知識ばかりでなく、文化という形において集
積された他のものの経験を自分のものにするのだ。そのような、情報の体型を
もつことによって人は生き延びてこれたし、初めて有能に行動できるのである
 
 ヒトに一番似ている動物としてサルといわれているのには納得する。外見だ
けでも、似ていく所はいくつかあるし、「やはり、サルから進化したのかなあ」
と思ってしまうことは、チンパンジ-が、長細い木の棒を使って食べ物をっと
ている姿が写真に取られて、本に載っていた。また、今度はテレビでボタンを
押すと、食べ物が出てくる機械をサルの小屋の中においてみると、最初はとま
どっていたが、最終的には、「ボタンを押せば、自分の好きなリンゴが出てくる
」と学習でき、簡単にリンゴを取り出せるようになった。
 
 そのとき私は、「5年後、もう一度同じことを違うサルにしたら、どうなるだ
ろう」と思ったが、そこがヒトとサルとでの大きな違いなのではないか。やはり
、サルだと、また前のサルのようにとまどってしまい、機械のことを分かるま
で時間がかかってしまうが、ヒトは、その機械について本を書き、次の世代に
残そうとするのではないか。それによって次の世代、もう次の世代になっても
、本がある限りその機械について、とまどうものなんてないと思う。
 
 ヒトはサルと違って、自分の経験を後に残して、次の世代は自分の経験を土
台として、もう一段レベルアップできるから、ヒトはものすごいスピ-ドで学
習できる。しかし、今現代の子どもは(私も入れて)、本の知識からスタ-トし
て、本に書かれている事以上に学習を進めていくのではなく本に書かれている
ことを、まるっきり覚えて『テストのための勉強』なっていると私は思う。
 
 「辞書のような人間になることではなく、辞書を上手く使えるような人間に
なることが、勉強の目的である」という名言があるように、本に書かれてある
ことを参考にして、それ以上のことを考え出していかないと、字も書けるし、
本も読めるヒトが、字も書けない、本も読めないサルと一緒になってしまうの
ではないか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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