マシュマロ |
アジサイ | の | 滝 | の広場 |
がっちゃん | / | てな | 中3 |
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落ちてきたら |
…何度でも |
打ち上げよう |
美しい願いごとのように |
この詩のいのちは美しい願いごとのようにというすばらしい「比喩」にある |
と言えるだろう。この詩を読むと、いつも光さす空を見ていよう、紙風船が落 |
ちてくるのに目をとめるより、何度も打ち上げるそのことに生きる証を見つけ |
よう、というような祈りに似た詩の心が伝わってきて、励ましさえ感じる。と |
ころで、いつだったか、テレビで見たのだが、スポーツ評論家のSさんが「フ |
ォークボールの投げ方を選手に教えるのに、カーテンのヒモを下へ引っ張るよ |
うになげるんだよ、とたとえを使うと、よりよく伝えることが出来る」と言っ |
ていた。驚いた。肉体的な技術の説明に比喩が大きな働きをするなんて! |
比喩は、俳句やことわざだけでなく、日常の会話にも使われている。「みん |
なが白い目でみてるよ」「僕、医者の卵なんです」「そんなん、ドラえもんの |
世界やん」などなど(<a |
href="http://www4.justnet.ne.jp/~taiyaki/regular/linguistics/metaphor/ |
index.htm">ここ</a>をみれば君も比喩博士(謎)) |
)考えればいくらでも思いつく。比喩は私たちの知らないところで活躍中な |
のだ。 |
比喩の活躍はこれだけではない。私はこの前、数学の時間に平方根を習った |
。それでなくても大嫌いな数学。平方根もさっぱり分からなかった。「4√7 |
+2√3はこれ以上計算できない??はあ?6√7なんじゃないわけ?」しか |
し、先生の一言ですぐにわかった。「√7と√3を、文字にたとえればいいんだ |
よ」なるほどと、思った。確かに、4a+2bはこれ以上計算できない。すば |
らしかった。本当にすばらしかった…。 |
他にも、「包丁を使う時は、包丁を持ってない方の手を猫の手にして添える |
」というのも比喩だ。 |
しかし、比喩を使わないで説明した方がいい場合や、反対に比喩を使った方 |
がわけがわかんなくなる場合もある。例えば、トランペットの吹き方で、私は |
、「口の中にマシュマロを詰め込まれた時のように吹くんだ」と、言われた。 |
「は?」と、思った。だいたい、口の中にマシュマロなんて詰め込んだことは |
ない。そして、ためしに詰め込んでみたが、喋りづらいだけだった。だったら |
、「口の中を膨らませて」の方がよっぽどわかりやすいはずである。 |
このように、比喩は幅広く使われている。ちょっとした比喩で感情を表した |
り、理解できたりするのだ。こんなすばらしいモノを俳句にいれたのはすごい |
。でも私は、比喩には人のセンスも入ると思った。自分が見たことを例えて人 |
に伝える時には、自分が感じた例え方をする。しかし、他の人が見たら別の感 |
じ方をして、別の例え方をする。だから、例えることが=理解には発展しない |
ときもある。まあ「一長一短」という四字熟語もあることだし、比喩はとても |
すばらしい代物だ。比喩を積極的に使うことをお勧めします。 |